狂爛の宴
<3>





 どういうことなんだ?!どうしてガーネットがここに!?
めまぐるしく頭の中に疑問符が駆け巡るジタンをよそに、ガーネットとクシュハルト氏は会話を進めた。ジタンは混乱していて、それらをほとんど聞き取ることができなかった。かろうじて聞き取れたのは、最後の言葉だった。
「お疲れでございましょう。案内させますので、お部屋にてまずはおくつろぎ下さい。今宵は宴を用意いたしておりますので、一刻ほどした後、お迎えにあがります」
すぐに使用人の列の最後尾にいた年配の女性がご案内いたします、と言って進み出た。
ガーネットはもう一度クシュハルト氏に向けて礼をすると、ベアトリクスや侍女たちを率いて女性の後につづく。
しずしずと階段の方へ向かい、姿を消していくガーネットたちを、ジタンは内心焦りを伴いながらトットとともに見送った。
「それでは、イララ大臣殿。わたくしどもも陛下のもとへと参らせていただきます」
トットが一礼する。ジタンもそれに従って一礼し、クシュハルト氏の前から退出した。
「いったいどういうことなんだよトット先生!?さっぱりわけわかんねーぞ、どうしてガーネットがここに……むぐっ!」
人のいない廊下に出た途端、ジタンはトットに詰め寄った。疑問符が頭の中で暴れている。早くどうにかしてもらいたい。一切合財説明してもらいたかった。
だが、その口は途中でトットの手に抑えられた。
「マーカス殿、ここはクシュハルト邸。どこで誰が聞き耳をたてておるかわかりませんぞ。ガーネット様、もしくは女王陛下とお呼びくだされ。それと、もう少し声を抑えて」
わかりましたな? と言われジタンはうなずく。わかったから、はやく充分な説明をしてくれ、とジタンは少し声を抑えて求めた。
わかりました、と答え、ゆっくりと歩き出しながら、うつむき加減にトットは話し出す。
「……ことの始めは、数日前の定例会議でのことです」
 その日のもっぱらの議題は、今年の予算についてだった。先の大戦で大きな痛手を受けたアレクサンドリアの復興に当てる費用や他国に対する賠償金で、すでにアレクサンドリアは火の車だ。それでも国を維持していくために、どうやりくりしていくかが、一番の焦点となった。
 そこで、一人の大臣が発言した。
「『わたしの財をアレクサンドリアの予算に提供してもよい』、とその大臣は申し出ました」
その会議に出席していた者は皆驚いた。なぜなら、その男は議会の中でも一番の権力と財を持っていたから。
「しかし……わたしもガーネット様も、手放しでは喜べなかった。なにか、必ず裏があるはずだと、警戒いたしました。……そして、案の定」
『しかし、そのかわり、今度予定されております女王陛下のトレノへの視察の際には、ぜひともわが屋敷にて滞在していただきたい』
その大臣はそう言い添えた。
「つまり、これが何を意味しておるのか、分かりますかな?」
 言われて、ジタンは考え込んだ。
今の話の大臣とは、すなわちこのクシュハルト邸の主のことだろう。確かに、この屋敷を見ても分かるとおり、かなりの大富豪であることは間違いない。だがしかし、その財をアレクサンドリアの国庫に預けるとは、なんとも気前が良すぎる。しかも、女王が数日間自分の屋敷に滞在することが見返りだなどと。
 ジタンは頭をひねった。
「……こう言った方が分かりやすいですかな。自邸に滞在してくれと言ったクシュハルト氏には、年頃の息子がおります」
あ、とジタンは目を見開いた。
「つまり……いったんはアレクサンドリアに財を預けておきながら、女王を自分の息子と結婚させて息子を王にさせ、今度はアレクサンドリア自体を手に入れるってことか……」
「はっきり自分の息子と結婚と結婚しろとは言わないところがまたなんとも卑怯ですな」
トットがきっぱりと言った。
もし、直接的に『財を与える代わりに息子と結婚しろ』と言ったのなら、なんのためらいもなくガーネットは拒否しただろう。それを見越した上で、クシュハルト氏は『自邸に滞在しろ』と言ったに違いない。そして、トレノに視察に行くガーネットに滞在を断る理由は、表面上、ない。
「マーカス殿は、この屋敷の主が、本当に女王が数日間滞在しただけで財をやすやすと渡すように見えましたかな?」
「いや……」
「必ず、女王陛下がこの屋敷に滞在している間に、なにか仕掛けてくるはずです。結婚の交渉なり……暗殺なり」
 最後の言葉にぎょっとする。
「なっ……!」
「現在、ガーネット様の他に王族はおりません。ブラネ様が即位なさったころにはすでに、他の血縁は皆絶えておりましたから。そうなると、自然に王位継承権は議会で一番の権力をもっている、イララ・クシュハルト大臣が第一位なのです。……大戦以前はベアトリクス将軍もガーネット様の次に継承権を持っておりましたが、あの大戦の原因に深く関わったことで、剥奪されました。大戦後、武人が王位に就くことを議会も良しとしなかった。よって、スタイナー殿も候補者から外されました。そして、残ったのは議会で権力を誇るクシュハルト氏というわけです」
淡々とした口調でトットは告げる。その口調に似合わず、説明はひどく衝撃的なことだった。
「つまり、現女王を殺してしまえば、自動的に王位は自分のものっていうわけか……」
「そうです。ガーネット様が御子をお産みにならないうちは」
少し前を歩いていたトットはそこでジタンを振り返り、満面の笑みでがんばってくださいね、と言った。
ジタンは一瞬ぽかんとしたが、すぐにその意味を悟り、顔を真赤にした。
「なっなななななっ……!」
「いやいや、照れずとも。お若いのは良いことですなぁ。ホッホッホ」
「トット先生!」
「まぁ、若い者をからかうのはこのあたりにしておいて───マーカス殿」
 またトットは急に真剣な表情に戻る。真摯な目でジタンを見上げて、言った。
「ガーネット様を、どうかよろしくお願いします」
 真剣な目を受け止めて、ジタンは深くうなずく。
「言われずとも」
 ジタンの答えを聞いてトットはにっこりと笑うと、また歩き出した。
「ガーネット様のことだからおそらくあなたには何もおっしゃらずにトレノに赴きになるだろうと思っておりました。しかし、今度のことはガーネット様お一人で抱え込んでしまうにはあまりに荷が重く、そのうえ危険なこと。ですから、わたしはこうしてマーカス殿をお連れしたのですよ」
 なるほどな、とジタンは呟いた。それにしても、さすがトットはガーネットの性格をよく見抜いている。トットの見抜いたとおり、ガーネットはジタンに何の一言も告げずにここへ来た。
  ……ガーネットのことだ。おれに心配をかけまいと何も言わなかったに違いない。
ジタンは、たまらなくなってぎゅっと拳を握った。
ガーネットが何の相談もしてくれなかったことが悲しい。そして、彼女からこのことを打ち明けられるだけの男でなかったことが、腹立たしい。
  こんなことなら、無理やりにでも聞き出しておけばよかった……。
 だが後悔しても始まらない。クシュハルト邸に、自分もガーネットも来てしまっている。これからガーネットを守ることだけに、専念しなければ。
「でも、どうしておれ一人を連れてきたんだ? そんなに危険なところなら、護衛がいっぱいいたほうが……」
「……残念ながら、腕がたって信頼できてなおかつ口の堅い人材となると、そうはおりませんからな。ベアトリクス将軍をはじめ、そういう人材はガーネット様の護衛につけました。わずか、十名程度です。しかしながらその十名よりもマーカス殿お一人のほうがなお信用がおけるうえに、手練(てだれ)であります。その上ガーネット様を支えることができるとなれば、ヘタな護衛をつけるよりも心強い」
「どうして口が堅くないとだめなんだ?」
「ガーネット様に縁談が持ち上がっているとなれば、あなたの命も危ういこと、おわかりでしょう。けれど、ガーネット様のためにもどうしてもあなたをここへ連れてきたかった……。ちょうど、わたしは周囲のモンスターの様子を探り、ガーネットさまよりも先にこの屋敷に参ってクシュハルト氏とともにガーネット様をお迎えする役目でした。もしあなたがガーネット様とともに飛空挺にてここを訪れれば、出発のときに必ずや城にいるクシュハルト氏の手の者に気づかれ、クシュハルト氏に知らされたでしょう。そうなれば、ガーネット様の危険は確実なものとなる。ですから、わたしとともに来てもらいました。しかし、問題は後にガーネット様と合流した後のことです。誰かがあなたの正体を口外しないとは限らない。ばれれば、ガーネット様も、あなたも、危うい。そういうことです」
 さすが大陸に名高いアレクサンドリア宰相。ジタンはトットの手回しのよさにあっけにとられた。けれど、すぐに笑んで礼を言う。
「ありがとう、トット先生」
トットがいなければ、いま自分はここにはいなかっただろう。城で、ガーネットの心配をしながら帰ってこない彼女を待っていたにちがいない。
「なんの。多少なりとも危険が増えようと、あなたがガーネット様のお側におられた方が良いだろうと思ったまでです。さぁ、ガーネット様のお部屋へと参りましょう」
「そうだな。さんざん心配かけた挙句がコレだもんな。ちょっと一回、おれをのけ者にするなと言ってやらなきゃ」
 その拗ねた子供のようなジタンの台詞に、トットは笑った。








 用意された部屋に入ってソファにすわって、ガーネットは混乱していた。
部屋の中にはアレクサンドリア城から連れてきた馴染みの侍女たちと、ベアトリクスしかいない。衛兵たちはみな、部屋の外にて待機していた。
 侍女から紅茶を差し出されたが、ガーネットはまったく手をつけていない。
ただ、先ほどの信じられない光景を思い出して、混乱するばかりだった。
 出発するときに、城に残るスタイナーに彼への伝言を頼んだ。これから三日ばかり留守にしますと。自分の口で言うと、余計なことまでしゃべってジタンに心配をかけてしまいそうだったから、伝言という卑怯な手を使った。
 ジタンにはそれ以外何も伝えていないから、今日自分がここへ来ることも、知らないはずなのだ。それがどうして……なぜ彼がここにいたのだろう? しかも、薄暗闇でよくわからなかったけれど、彼はアレクサンドリアの官僚見習いの衣裳を身にまとっていた。
 彼の姿を見た瞬間、思わず名前を叫びそうになってしまった。
けれどすぐにここがどこかを思い出して、喉元まで出かかった名前をどうにか胸の中にしまいこんだ。どうにかその場をやり過ごして、この部屋に引き取ってすぐに、皆にきつく彼のことを口止めした。彼のことが知れれば、彼の身も危うい。
  どうして…………。
 ガーネットは半ば呆然としていた。それくらい、驚いたし、信じられないのだ。
「おそらく、トット殿……でしょうね」
 ガーネットの側に控えていたベアトリクスがゆっくりと口を開いた。
「トット先生が……? ジタンを、連れてきたと言うの……?」
 ガーネットの言葉に、ベアトリクスはうなずいた。
「ガーネット様のことを思って、彼を連れてきたのでしょう」
ガーネットは呆然とベアトリクスを見つめる。そこに、扉がコンコンとノックされる音が響いた。
「トットです。ガーネット様」
その声を聴いて、扉のすぐ側にいた侍女がすぐに扉を開けた。
開いた扉から、トットと、そして、やはり官僚見習い用の衣裳を着たジタンが入ってくる。
ガーネットはとっさに立ち上がって、ジタンを見つめた。
ピシッとした衣裳のせいか、前髪を上げているせいか、いつもと雰囲気が違う。
ガーネットは、驚けばいいのか喜べばいいのか、悲しめばいいのか、心がごちゃごちゃでまったく分からない。
それでも、合わせた瞳はそらさずに、二人はしばしの間見つめ合った。
「……悪い。ベアトリクス、トット先生。ガーネットと、しばらく二人きりにしてもらえるか?」
ジタンがそう静かに言うと、ベアトリクスやトットを先頭にして、侍女たちもぞろぞろと部屋から退出していった。
最後の侍女がぱたん……と扉を閉めると、部屋の中は静寂に満ちる。
ガーネットはジタンの瞳に囚われて、動けなかった。
すこし怒ったような空気がジタンから発されているのがわかって、何か言おうとしたけれど、なにも言葉が出てこなかった。
先に動いたのは、ジタンだった。
一歩、ゆっくりとこちらに近づいた。
「ガーネット……」
続けて足を踏み出したのを見て、ガーネットは思わず後ずさりした。
自分でもなぜかわからない。彼に何も話さずにここに来たことに、罪悪を覚えているのだろうか。
ジタンはそれでもかまわずにこちらにまた一歩近づいてくる。
ガーネットも後ずさりする。
また一歩。
後ずさりする。
数歩それを繰り返し、ついにガーネットの背が壁に触れた。
薄い暗闇の中、ジタンがすぐ近いところまで来ている。彼の顔の輪郭が、はっきりと見える。
「ジタン……」
すぐ目の前で、ジタンは静かに立ち止まった。
もはや、見上げないと彼の顔は見えない。
前髪を上げたジタンはいつもよりも大人っぽく、蝋燭に照らされたその顔は格好よくて、こんな時だというのに、ガーネットは胸が鳴った。
「……ガーネット」
ジタンは静かにガーネットの名を呼んで、その両手をゆっくり持ち上げた。
ガーネットはぎゅっと目を瞑る。
そして、


 ぺちん


渇いた音が部屋の中に小さく響いた。
ガーネットは両頬を挟むようにして包む温もりを感じた。
ほんの軽い力ではたかれた両頬は、痛みをまったく感じなかった。
そのかわり、胸がずきんと痛むのを感じた。
そっと瞳を開くと、そこにはジタンの空色の瞳がある。
その瞳は真摯で、今にも泣き出してしまいそうで……ガーネットはまた胸の痛みを覚えるとともに、知らない間に一筋の涙をこぼしていた。
「……ガーネット。おまえ、どうしておれがおまえの傍にいるのか、ちゃんと、わかってるか……?」
 ガーネットは何も言えなかった。
ジタンの両手から、悲しいまでの温もりが伝わってくる。
その温もりをかみ締めながら、わかっている、とも、わからない、とも言えなくて……ただ、涙をこぼした。
蝋燭の光りに映える彼女の涙を見ながら、ジタンも苦しげに言葉を紡ぐ。
「……おれは、おまえを守りたいんだって、言ったろう……?」
 それは、鳥が自分の巣を守るのに似ていた。
巣を壊されたりしないよう、自分の住処を取られたりしないように守るのと。
また、巣の中のたまごを外敵から懸命に、決してたまごを傷つけられたりしないよう、奪われたりしないよう、大切に守るのと。
「ガーネットは、おれの、『居場所』なんだ……。いままでずっと探して、求めてきた、おれが心から安らげる、唯一の……」
 だから、と言い置いて、ジタンは何かを抑えるように眉根を寄せ、瞳を閉じた。額を寄せ、ガーネットの額に触れる。
「だから、自分の『居場所』を……おまえを、守らせてくれよ……───頼むから……」
 危険なところへ行くときには必ず言ってくれと。
ガーネットがどうしても行くと言うなら自分も行くから、この手で守るから、と。ジタンは精一杯訴えた。
ガーネットは、涙があふれて止まらなかった。
彼を心配させまいと何も言わずに来たことが、こんなにも彼を悲しませている。
「……っごめんなさい……!」
そっと両手を持ち上げて、彼の両頬を包み返した。
震える声で、ジタンに伝える。
「ごめんなさい……何も言わなくて。……本当は、こわかったの。ジタンに、一緒に来てもらいたかったの。でも、ジタンを連れて行ったら……ジタンまで危険な目に……!」
わななく瞼を伏せると、涙が数滴こぼれてジタンの手に流れた。

「……ジタンを、失いたくないの……」

自分の身の危険よりも、そのことが不安だった。
以前から、彼を失うことが恐かった。それが、あの夢を見てからはいっそう現実味を増して、恐かった。
  ジタンがいなくなってしまうかもしれない
 それがどんなに胸を締め付けて、苦しかったことか。痛かったことか。
「ジタン……!」
  失いたくない。
ならば、どうすればいいか。そうして考えたのが、彼を巻き込まない方法だった。
怯えて震える肩を、ぐいと引き寄せられる。ジタンの腕の中で強く抱きしめられた。
「……おれも同じ気持ちだってこと、忘れないでくれ」
はっとしてガーネットはジタンを見上げた。
よく晴れた青空のような瞳がそこにある。
いつもやさしく微笑んでいて、ガーネットを支えてくれる瞳が、いまは切ないほどに真摯だ。
「…………っ!」
 耐えられなくて、どうしようもなく切なくて、悲しくて、申し訳なくて、ガーネットは彼の胸に顔をうずめた。彼の背中に細い手をまわして、力いっぱい抱きしめる。
ごめんなさい、と涙をこぼしながら何度も謝った。
ジタンは彼女の声を聴きながら、彼女の温もりを確かめるように漆黒の髪の中に顔を埋める。




危険な所にいることには変わりないが、今だけはせめて、互いの温もりを感じ合っていたかった────






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