狂爛の宴
<4>





 その日クシュハルト邸で催された宴は、かなりの規模のものだった。
アレクサンドリア女王行幸の知らせを聞いたトレノの貴族たちはこぞって身を飾り、クシュハルト邸に押しかけた。その者たちの目的はもっぱらアレクサンドリア始まって以来の美姫と名高いガーネット女王をひと目でも見るためであったが、ひそかに彼らはクシュハルト氏の一人息子であるコウジュ・クシュハルトと彼女がどうなるかを見物しにやって来たのである。
 そのアレクサンドリア女王が大広間に入ってきた瞬間、それまで他愛のない会話に花を咲かせていた貴族たちは一斉に注目し、口を閉ざした。誰もが予想をはるかに越えた彼女の美しさに息を呑んだ。身動きすらとれずに、うら若い女王を見つめる。
 アレクサンドリア女王は大広間の入り口で足を止めた。
そしてゆっくりと優雅に淑女の礼をし、顔を上げると穏やかに微笑んだ。
 それだけで、大広間にいた貴族たちがわっと歓声をあげた。
「さぁさぁ、女王陛下、どうぞこちらへ」
 クシュハルト氏は女王の前に出ると彼女を広間の前のほうへと導いていく。女王のそばに守るように控えていたベアトリクス将軍も、それに従っていく。
前のほうに用意されていた席に、女王は座った。
「みなさま、今宵はようこそわが屋敷へ。ここトレノでも評判の楽師たちを呼びましたのでどうぞ踊り、飲み、存分に楽しんでいってくださいませ」
クシュハルトが高々と言い、貴族たちは再び前以上に会話に花を咲かせ始める。
広間の後ろの音楽席からは優雅な音が流れ出して、幾人かの貴族たちは広間の中央に出てそれぞれペアを組んで踊りだす。
 ジタンは、その一連の様子をじっと壁際から見ていた。その目は、女王がこの広間に入ってきてからずっと、彼女のみに注がれている。
「ホッホッホ。マーカス殿、そう気を張り詰めずとも。あの方も、こんな人の目がたくさんあるところで陛下に手の出しようがありませんよ。ベアトリクス将軍もそばに控えておることですし」
同じく隣にてガーネットたちを見ていたトットがからかうように声をかけてくる。
「まぁ、そりゃ、そうなんだけどさ……」
 ジタンは溜息をついた。ガーネットが心配でならないのだ。
そんなジタンに、トットは苦笑する。
「それよりもマーカス殿……」
そこで言葉を切ったトットをいぶかしむようにジタンは目線をトットに遣る。
「なんだ? トット先生」
「…………もうすこし、周りを見たほうがよろしいかと思いますよ」
 そう言われて、え? と視線を周囲にめぐらしてみた。
途端、う、と少しジタンは後ずさった。でも後ろは壁なので、実際には失敗に終わったが。
いつの間にか目の前には、ずらり、とジタンを囲むように、きらびやかなドレスをまとった婦人たちが居並んで熱い視線を送っていた。
その中の一人、偶然目が合ったピンク色のドレスを着た婦人がずいと前に出て、
「あの……わたくしと一曲踊ってくださりませんこと……?」
そう頬を染めて恥ずかしそうに言った。それを皮切りに、他の婦人たちもぞくぞくと
「いいえ、わたくしと踊ってくださいませ」
「いいえ、このわたくしと!」
「わたくしダンスは得意ですの。ぜひともわたくしと!」
「いえ、わたくしとです!」
 言いながら詰め寄ってくるものだから、これにはジタンもたじたじとなった。
「い、いや、おれは……!」
 どうやってこの場を切り抜けようかと考えあぐねていると、自然とガーネットの方へと視線が行った。ガーネットもこちらを見ていたらしく、視線が合った。
と、ガーネットがにっこりと『実に麗しい』笑顔を見せた。
一見麗しい笑顔だが、ジタンにはその後ろに怒りのオーラがゴゴゴ…と燃え上がっているのが見えて思わず冷や汗を流す。果たして、それは気のせいなのだろうか。
  不可抗力だあぁぁぁぁ!
 ジタンは心の中で一生懸命にガーネットに向けて叫んだが、その声が届くはずもない。
その間にもご婦人方はジタンに詰めより、「さあわたくしと!」「わたくしと!」「踊ってくださいませ!」と口々に言い寄る。
 ……ジタンは泣きたい衝動にかられた。




  なによジタンったら!さっきはあんなこと言っておいて!
 ジタンが婦人たちに囲まれてあたふたとしているのを横目で見ながら、ガーネットはイライラとしていた。
  そうよね、ジタンったら初めて会ったときから女好きだったもの。さぞかし今はお幸せな状態でしょうよ!
 ここがこれだけ人目につく場所でなかったら、盛大にほっぺたを膨らませるなりジタンを睨みつけるなりできるのだが、残念ながら宴の席ではそれはできない。
 はぁ……、とガーネットは溜息を洩らした。
 実を言えば、ガーネットには彼女たちの気持ちがよく分かる。
今は官僚見習いの衣裳ではなく、礼装をしたジタンは誰がどう見ても、文句なしに格好いいのだ。背は高いし、見目良いし、なによりもトレノの貴族たちとは明らかに違う、颯爽とした雰囲気をもっている。一曲だけでもともに、と望むのは当然のことだろう。
実際、ガーネットも本心はできることなら彼と踊りたかった。
 婦人たちの気持ちが分かるからこそ、逆にジタンを恨めしく思ってしまうのだが。
  ……ジタンのばか。
 心の中で八つ当たりして、ガーネットはもう一度溜息をついた。
そのとき、不意に誰かの手が差し出されて視界に入った。
「?」
なんだろう、と思って顔を上げると、そこには一人の青年がいた。
ガーネットは彼の顔を見て愕然とした。
  アルクゼイド!?
目を見開いて彼を見つめる。
若草色の双眸といい、顔の造作といい、その青年は記憶のなかにある、故郷にてガーネット……セーラを守ってくれていた、あの、少年とそっくりだ。あの少年を成長させたら、ただ一点を除いてそっくりそのまま、目の前の青年と重なる。
  アルクゼイド……!?
まさか、でも、角がない。それに、彼は生きてはいないはずなのだ。
ガーネットは目を丸くして彼を凝視しているが、青年は一向に気にしていない様子で彼女に話し掛ける。
「はじめまして。イララ・クシュハルトの息子の、コウジュと申します。……一曲、わたしと踊ってくださいませんか?」
ガーネットは呆然としたまま彼の顔と、差し出された手とを交互に見た。
  コウジュ…………
 アルクゼイド、ではない。
  でも、似ている……。そっくりなんて、そんなものではないわ……。
 生き写し、だった。顔も、目の色も、髪も落ち着いた雰囲気も何もかも!
けれど、彼はアルクゼイドではない。……彼は、死んだのだ。よく似た、別人だ。
 気がつくと、呆然と差し出された手に、自らの手のひらをそっと重ねていた。
ゆっくりと立ち上がり、彼にエスコートされて、広間の中央に出て行く。
片手を重ね、もう片方の手は相手の肩に添える。なだらかな曲に合わせて、二人は踊り始めた。
まわりの貴族が好奇に満ちた目で見る。
「まぁ、コウジュさまだわ。ガーネットさまとお踊りになるみたい……」
「素敵!なんてお似合いなのかしら、あのお二人」
「コウジュさま、おやさしくて素敵な方なのに、浮ついた噂など全くなくて……私、密かにお慕いしておりましたのに……。ガーネット様がお相手では、どうにもなりませんわね………」
 広間のあちこちで、婦人や紳士が二人を見て溜息を洩らす。
ジタンに言い寄っていた婦人たちも例外ではなかった。いまや彼女たちは振り返って、広間の中央で踊る二人に完全に夢中になっている。
 ジタンは、ショックを受けて呆然としていた。
  ガーネットが、他の男と踊っている……
 それだけで、言いようのない、強いて言うなら、でかい岩を丸呑みさせられたような、ずしりとした気持ちになる。
それでも、踊る二人から目が離せない。
  ガーネット……
「あのお二人、すごくお似合いだわ」
「コウジュさまとガーネットさまなら、家柄も見た目も釣り合いがとれて、申し分ないですわね。これはもう、決まりかしら……」
 呆然とする耳に、そんな会話が聴こえてくる。
『コウジュさまとガーネットさまなら、家柄も……』
「…………っ!」
 ジタンは強く拳を握り締めた。皮膚が破れそうなほどに強く。
「ガーネット……」
 その呟きは、幸い、隣にいたトットにしか届かなかった。




 踊りながらもガーネットは、まだ呆然としていた。
コウジュが苦笑して囁く。
「……わたしの顔に、なにかついていますか?」
言われて、ガーネットは自分が彼の顔をじっと見つめっ放しであったことに気がついた。
慌てて目線をそらし、うつむく。
「それとも、貴方の知っている『誰か』に、そっくりですか……?」
 心の中を見抜かれたような気がして、はじけるようにガーネットは再び目線を上げた。
やさしい若草色の双眸が、すぐそこでガーネットを見下ろしている。
 勘違いしてしまいそうで、ガーネットはすぐにまた目線を下げた。
「……あなたは、本当に、コウジュという名前なのですか……?」
「そうですよ」
「…………」
 ガーネットは瞼を伏せた。やっぱり、別人なのだ。彼は、生きてはいないのだ。
「……そんな悲しい顔をしないでください」
静かな声が耳に響く。雰囲気と同じ、落ち着いた声で、ガーネットは心地よさを感じた。こんなふうに感じるなんて、ジタン以外では初めてだ。アルクゼイドに、よく似ているからだろうか。
「……大丈夫。きっとすぐ、その人に会えますよ」
────『……大丈夫』
その言葉は夢の中で少年が言った声と重なって、ガーネットの心に波紋を起こした。
「あ……」
何か言おうとしたガーネットを遮って、コウジュはにこりと微笑んだ。
その笑顔までが、あの少年と重なる。
 貴族たちが好奇な目で見守るなか、曲が静かに終わった。
コウジュは呆然とするガーネットから体を離し、彼女の左手を取ると、その甲に軽く口付けした。
「お相手ありがとうございました。……もっとよくお話をしてみたいのですが、このままだと彼に視線で殺されそうなので、このあたりにしておきましょう」
「え……」
それでは、とコウジュは言い置いて、その場から身を翻して去っていった。残されたガーネットは、いまだ呆然としてその背中を見送る。
 それが、傍目から見れば、青年に心奪われた少女のように見えたことも知らずに。






 宴が終わり、部屋に戻ってからもガーネットはどこか上の空だった。
物思いに沈み、ぼんやりとしてはときどき溜息をつく。
それが、事情をなにも知らない侍女やベアトリクスには、よもやガーネット様が心変わりか、というふうに見えて仕方がない。ガーネットがまとっていたドレスを脱いで夜着に着替えるのを手伝う時も、ベアトリクスや侍女たちが部屋から引き上げる時も、ガーネットは上の空なままであった。
 一人になった薄暗い部屋で、ガーネットはベッドの端に腰掛け、マダイン・サリで過ごした日々を思い返していた。
 アルクゼイドと一緒に朝から日が暮れるまで一緒に外を走り回ったこと。
 彼と一緒にあの秘密の場所を見つけたこと。
 そこで一日中話して、彼からいろいろなことを教わったこと。
 遊び回って疲れた挙句、秘密の場所で二人して眠り込んでしまったこともあった。あのときは、大人たちが心配して探し回っていて、あとからすごく叱られた記憶がある。
目が覚めるとあたりは真っ暗闇で、すごく恐いはずなのに、アルクゼイドがいてくれたから、そんなに恐くはなかった。彼がいるだけで、不思議な安心感があった。
  ……いま思い出してみると、あの頃のわたしって、まるっきり彼を頼りにしていたのね……。
あの頃の自分は、彼がいないと外にもろくに出られない、すごく弱い存在だった。
「アルクゼイド……」
 彼は、本当に死んでしまったのだろうか。
 コウジュは、本当にアレクゼイドとはなんの関係もないのだろうか。
他人の空似で済ませてしまうことができないほど、彼は似すぎている。顔も、雰囲気も。
 はぁ……、とガーネットはまた溜息をついた。
がたん、と物音がしたのは、そのときだった。
「!?」
 驚き、一瞬身を強張らせて後ろを振り返る。
蝋燭の光りに浮かび上がった姿を見て、ほっと体の力を抜いた。笑顔を浮かべて彼の名前を呼ぶ。
「ジタン」
 後ろの窓が開いている。そこから入ったに違いない。この部屋は二階にあるのだが、彼にとってはなんの意味もないらしい。窓の近くには大きな木が植えてあったので、それを登ってきたのだろう。
腰掛けていたベッドから立ち上がって、彼のもとに駆け寄る。
彼は宴のときの礼装のままだった。
ガーネットは彼の数歩手前で足を止めようとした。だが、ジタンがその距離を一歩で埋め、ぐいと手を引かれたかと思うと、次の瞬間にはもう、ガーネットは彼の腕の中に閉じ込められていた。
「ジタン……?」
抱きしめられる腕の力がいつもよりも強くて、ガーネットは少し息苦しさを覚えた。
 なにかあったのだろうか、と、ガーネットはまさか原因が自分にあるとは思わずに、そう考えた。
「ジタン?」
 彼の顔を見上げると、目が合った。
「!」
突然荒々しく口づけされて、ガーネットは息が詰まりそうになった。
「ジ……! んっ……」
荒々しくて力強くて、まるで野獣のようだ。何度も角度を変えては繰り返されるそれに、呼吸さえ苦しくて、ガーネットは喘いだ。
「あいつと……なに話した?」
 やっと唇を開放すると、ジタンはそう言った。
 その声は、いつものジタンの、明るい声ではない。


 低くて────こわかった。



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