「今からわたしが向かうのは、トレノにあるクシュハルト邸です」
「クシュハルト?」
誰だ? とジタンはトットに尋ねる。
すでに険しい山を越え、二人はベンティーニ高原を歩いている。
「アレクサンドリアの大臣の一人です」
トットはついと足を止め、ジタンを振り返って見上げた。
もうトレノまであと数歩というところまで来ている。
あたりはほとんど完全な暗闇になってきた。
その暗闇の中で、トットの眼がきらりと光ったような気がした。はたしてそれは、眼鏡のせいなのか、それとも光の加減というものだろうか。
その眼は今朝と同じく、真剣にジタンを見ている。
……ここからが大切なところです。いいですかな? と、トットは前置きして、ジタンに告げた。
「ジタン殿のことは見習いの者だと伝えてあります。ジタン殿も、そのつもりで振舞っていただきたい」
ジタンは目を瞠(みは)った。
どういうことだ?
「なん……」
「時間がないので、そのことだけ先に言っておきました。さぁ、先を急ぎましょう」
ジタンの言葉を遮ると、トットは背を向けてすたすた歩き出してしまう。ジタンは一瞬惚けて、目を瞬かせた。
「いったい……なんだっていうんだよ……」
トットはすでにトレノの門近くへと足を運んでいる。ジタンも急いでそれに追いついて、そして二人で衛兵が門を開けるのを待った。
これから、何が起こるんだ……
開いていく門。
それが、得体の知れない事件の始まりに見えてならない。
ジタンは、不安を抱えたまま、門をくぐった。 |