狂爛の宴
<1>




その街には、朝がない。昼がない。光がない。夜すなわち眠るものとすれば夜もない。
ただあるのは、暗闇。暗闇と、暗闇をわずかに照らす燭台の火、そして、人間の欲望。
いまもまた、ちろちろと燃える燭台の火の中に、人間の欲望が放り込まれる。


ところどころ頭に白いものが混じった初老の男は、静かに問うた。
「───……おまえの役目はわかっておろうな?」
燭台の火が放つぼんやりとした光に、壁には大きな影が映し出される。
光りに誘われるようにして、一匹の蝶が舞い込んできた。蝋燭の近くをひらひらと飛ぶ。
蝶の巨大な影は、男の影を呑み込んだ。
それを横目で見遣り、問われた若者は頭を低くして答える。
「……はい」
その答えに満足したように巨大な影は揺れた。
「失敗は、許さん」
「はい」
高圧的に言うと、初老の男は下卑た笑い声をたてた。
「もうすぐ……もうすぐだ……!」
若者は目を細める。
蝶はしばらくの間火の周りを舞って、そしてどこかへと行ってしまった。
初老の男は気がつかない。
下卑た笑いをしながら、さらに欲望を火の中にくべ続ける。



果たして、男の欲望が火の勢いを盛らせるのか、火が男の欲望をさらに燃やすのか────。






アレクサンドリアからトレノの街まで、飛空挺ならば一刻もかからない。
だが歩いていくとなれば、険しい山を越えるか、山岳を下りて四刻ほど歩き、極寒の氷の洞窟を抜けてさらに半日ほど歩いて行かなければならない。
どちらのルートも当然のようにモンスターが猛然と襲いかかって来る。
昔、まだ霧を利用して空を飛ぶ飛空挺が開発されていなかった頃には旅は常に死と隣り合わせだった。なかには用心棒を生業とし、旅人を町から町へと護衛しながら送り届け、礼金をもらって生活をする者も数多くあったほどだ。
かつて霧が大陸を覆っていた頃よりは視界が利くことで危険は少なくなったとはいえ、未だ国と国、町から町へ移動するにも、陸路は危険に満ちている。


「いっそ町から町へと道を切り開いて、そこに兵士を配置した方がよさそうなものですなぁ」
ところどころ木の根が浮き出て凹凸の激しい地面をゆっくりと歩きながら、眼鏡をかけたまるで学者のような風情の人物は、そうは思いませぬか?と隣を歩く若者に声をかけた。
問われた若者は、ああはい、そうだな、と気のない返答をする。
一見細身でごく普通に山道を歩いているように見えるが、よく見るとその青年はいっさい無駄のない引き締まった体をしており、鍛えぬかれた感覚は油断なくあたりに気を配っている。ある程度習熟した武人が見れば、ひと目で青年の力量を見て取ることだろう。
その青年の片手は、いつでも抜けるよう腰に装備してある愛用のダガーの柄を握っている。
「いやはや、さすがジタン殿ですな。先ほどのモンスターとの戦いぶりも、実に鮮やかなものでしたぞ。やはりジタン殿についてきてもらってよかった」
眼鏡をかけた学者風情の男は満足そうに笑って言う。笑うと、口ひげがそれに合わせて揺れた。
「……そりゃどうも」
でもな、と一言置いて、ジタンは続けた。
「人が戦ってるときに後ろで、『おお!』とか、『ジタン殿、頑張ってくだされ〜!』なんて言うのは、頼むからやめてくれよな。トット先生」
「おや、おじゃまでしたかな?」
「邪魔っていうか……。なんていうか、体の力が抜けるんだよ」
 ジタンは先ほどのモンスターとの闘いを思い出して、脱力した。
相手はスケルトン二体で、不意をつかれたならともかく、素早く気配を察知していたジタンの敵ではなかった。
ダガーを抜いて目にもとまらぬ早さでまずは一体を一撃のもと倒した。そして続いて二体目に切りかかろうとしたそのときだ。思わぬ妨害が起こった。
『いけっ!そこだっ!しびれますぞ〜ジタン殿!』
そのトットの応援に、思わず力が抜けた。
手元が狂って、スケルトンを斜め一線で斬りつけるはずだったジタンのダガーは切っ先を引っ掛けただけになってしまった。
チッと舌打ちして、スケルトンを踏み台にして後方に跳んでひとまず距離を置く。
『ドンマイドンマイ!闘いはこれからですぞジタン殿!』
背中にかばったトットがまたエールを送る。ジタンは再び脱力しそうになったがどうにかこらえ、斬りかかって来るスケルトンの刃をダガーで受け止めた。ぎぎぎ、と力と力、刃と刃の押し合いになった。
『ジタン殿、頑張ってくだされ〜!僭越ながらガーネット様の代わりにこのわたしがついておりますぞ〜!』
『ああもうわかったから!静かにしててくれ!』
言うなりスケルトンの体を思い切り蹴りつけて、相手がバランスを崩したところをダガーで一閃した。スケルトンの体はみるみるうちに空に溶け込み、やがて跡形もなく消滅した。
『素晴らしい!なんとも格好よかったですぞ、ジタン殿!ああ〜、惜しいですなぁ。もしわたしが女子であれば……』
『……冗談でも、やめてくれ……』
 トットは外見に似合わず、どうやら闘いを見ると熱くならずにはいられないらしい。と、いっても本人にはまるで戦闘能力がないので、観賞に熱くなるだけだが。
 二人はいま、アレクサンドリアからトレノへと行くために険しい山を越え、歩いている。
トレノで仕事があるらしいのだが、アレクサンドリアの宰相でもあるトットが何ゆえジタン一人を護衛につけて陸路を歩いてトレノに向かっているのかというと、これにはきちんとしたわけがある。
 アレクサンドリアとトレノ間の、様子をじっくりと見るためだ。
先の大戦が終わって以来、モンスターの動きは少しずつだが鎮静化してきているという。
だがどういうわけか、アレクサンドリア領ではいまだ、モンスターの動きが鎮静化する様子が見られない。それどころか、凶暴さが以前よりも増してきているというのだ。
それを確かめるために、仕事でトレノに赴くついでにこうしてトットは険しい道を歩いてきたのだ。
「でもさぁ、なにも護衛はおれじゃなくてもよかったんじゃないのか?」
 実を言うと、ジタンにははじめはなにが何なのか全く分からなかった。
ジタンは今朝、いつものようにガーネットとともに朝起きて、一緒に朝食をとって、それから執務のために出て行くガーネットを見送った。
いつもならその後はこっそりとガーネットの護衛をしたり、城下町に行って人々の様子をみたりするのだが、今朝は、ガーネットが部屋を出たのと入れ違いにトットが入室してきた。
 入室してきたトットを、なにごとだろう、と思って見ると、突然トットはこう言ったのだ。
『さあ、行きますぞ。ジタン殿』
『は?』
 もちろん、ジタンにはわけがわからなかった。トットとは今日、とくになにも約束はしていないはずだ、と。
『詳しい事情は道中お話しします。急いで装備を整えてください』
訝しがるジタンにトットは有無を言わさず装備を整えさせると、急いで城を出発してしまったのである。本当に、全くもってわけがわからなかった。
そして、言ったとおりトットは道中歩きながらジタンに少しずつ事情を説明した。それが、先ほど述べたことである。
 だが、どう考えてもわからない。変だ。
モンスターの様子を調べるなら、もっと大勢の人間を連れてきた方が効率が良いというものだし、もっと確かなものだ。

「いいえ。……今回は、ジタン殿お一人の方が、あらゆる意味でよいのですよ」
「? なんだそれ?」
「まぁ、それもおいおい、お分かりになることでしょう。ああ、トレノが見えてきましたな。もう少しです」
 ジタンは、まだなにかあるなと睨んだ。
トットは仮にも一国の宰相。本来ならば護衛などが山のようにつくはずなのだ。
それが、まるで他の護衛がいては邪魔だと言わんばかりにジタン一人を強引に連れてきた。しかも、ジタンひとりの方があらゆる意味で都合がいい、とは。
 いったいこれから、トレノで何が起きるというのだろう。
トットの隣を歩きながら、ジタンは視線を落として瞼を半分伏せた。
もう一つ。ジタンにはどうしても気がかりなことがあるのだ。


  ガーネット………


 彼女の様子が、おかしい。
 半月ほど前、彼女は夜中にひどくうなされて涙を流していた。その尋常ではないうなされかたにたまらず彼女を揺り起こしたのと、彼女が悲鳴をあげて目を覚ましたのはほぼ同時だった。
ジタンは、彼女がどんな夢を見たのか知らない。結局、ガーネットは教えてくれなかった。なによりも、つらい夢ならば、思い出させない方がいいと思ったのだ。あんなに脆い彼女の姿を見ては、無理にその夢の内容を語らせるなんてこと、できるはずがない。
ただ、彼女はその後、泣きながらジタンにしがみついてきた。ジタンの存在を確かめるようにしっかりと抱きしめながら、いなくならないで、と何度も繰り返した。
いなくならない。大丈夫。ずっとそばにいる。何度繰り返しただろうか。それでも彼女は泣き止んではくれなくて、明け方にやっと、泣きつかれてジタンの腕の中で、ジタンの服を握ったまま寝息をたて始めてくれた。
 その後数日、彼女はたまにふさぎがちになったものの、だんだんと以前の状態に戻っていった。ジタンもそれを見て、少し安心した。
けれど、また最近、思いつめたような表情をすることが多くなった。決して気づかれまいといつも通りに彼女は振舞うが、ふとした瞬間に、ふっと思いつめたような表情になる。もう見ていられなくて、我慢できなくて、今日、ガーネットが執務を終えて部屋に帰ってきたら、理由を問いただそうと思っていたのだ。
 ……だのに、自分はいまこんなところにいる。
もうすぐトレノに着くだろうが、トットはそこで仕事があるという。
当然、帰りの護衛も必要だろう。いや、帰りだけではなく、トレノにいる間中も。これでは到底、今日中には帰れない。
 朝のうちに、いや、いっそのこと昨日のうちに問い詰めておくんだったと、ジタンは後悔した。
アレクサンドリアから、というよりもあんな状態のガーネットから離れることは望まないことだったので、今朝トットに『行きますぞ』と言われたとき、わけがわからないまでも、始めはつっぱねた。ガーネットを放っては行けないと。
それでも、いまこうしてトットの護衛をしながら歩いているのは、あのとき、いつも優しいトットの眼が、いつになく真剣だったからだ。
『ついてきて下さいますね?』
そう真剣な声で問われて、うなずいた。


  ガーネット……


 どうか、おれが戻るまで、何事もなく無事でいてくれ。
ジタンは切に願った。




……その願いは、聞き届けられないものだったけれど。



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