L`ord's Prayer
<5>



─主よ、我の願いを聞き届けたまえ─





 このまま何事もなく会議が開かれ、そして終わるとはガーネットもベアトリクスも思ってはいなかった。
イララ大臣が何を考えているのかは読めないが、ガーネットにとってもこの国にとっても危険なことであることは間違いなかった。
操り人形と化したスタイナーによって会議室への廊下を歩かせられながら、ベアトリクスはなんとかガーネットだけでも逃がそうとスタイナーの隙を窺っていた。
 長い廊下の一番先を歩くのは、ベアトリクス。続いてガーネットが歩き、そのガーネットのすぐ後ろには、剣を突きつけたままのスタイナーが。ベアトリクスが少しでも不信な行動をとれば、すかさずスタイナーはガーネットに剣を突き刺すであろう。
それがわかっているからこそ、ベアトリクスはスタイナーの隙を窺いつつも、ただ従順に会議室へと歩を進めることしかできなかった。
だが、スタイナーは先の大戦の折に幾多の死線を乗り越え、あらゆる経験を積んだ。それゆえに以前は比べ物にならなかったベアトリクスの実力と同じ、いやそれ以上かも知れぬ実力を身につけてしまっている。それは、たとえ操られていても変わらぬこと。
ベアトリクスではなくガーネットに剣を突きつけて歩くスタイナーには、実際隙がいっさい窺えない。
 ガーネットはといえば、先ほどから思いつめたような表情でうつむいたまま、一言も声を発していない。ただ脅されるがまま歩を進めている。その様子に、ベアトリクスは胸が痛かった。
 やがて、好機を見つけることもできず、二人は会議室へと入れられた。
ベアトリクスが扉を開けると、中にはすでに官僚や議会議員たちが集っており、シンとした厳粛な空気の中女王が現れるのを待っていた。
「さあ女王陛下、こちらへ」
 先にこちらへと来たイララ大臣が女王の座る上座の近くに立ち、ガーネットを呼んだ。
警戒するものの、官僚たちの前ではどうすることもできず、また先ほどまで自分に向けられていたスタイナーの剣が密かにベアトリクスの方へと向けられたのを見、ガーネットは慎重にイララ大臣の方へと向かった。ベアトリクスは、スタイナーの剣によってその場にとどめられた。
 ガーネットが慎重に席につくと、会議が始められた。
今回の会議は月に一度開かれるもので、アレクサンドリアの現状報告と政策についての議論が交わされるものである。
まずは宰相のトットがアレクサンドリアの現状報告を行う。そして報告が終わった後、予定よりも遅れている政策や問題点について官僚、議会を交えて議論がなされる。大抵、三〜四時間ほどに渡って討論が続く会議だ。
 いつものように、まずはガーネットの席の近くに座ったトットが現状報告のために立ち上がった。
だが、


「本日の議題は、女王陛下とイララ・クシュハルト氏の御婚姻についてであります」


 その言葉を聞いた瞬間、ガーネットは思わず席から腰を浮かせた。目をいっぱいに見開いて、信じられない面持ちでトットを見た。ベアトリクスも驚愕の目でトットを凝視する。

 ガーネットの隣では、イララ大臣がにやりと笑みを浮かべた。
しかし、その他の者は一切反応を返さない。官僚も、議会の議員もすべて、表情を変えることなくトットの言葉を聞いていた。
「まずはこの御婚姻に賛成の方、どうぞ挙手を」
 ガーネットたちの反応など気にもとめずトットは続けた。明らかに、いつものトットではない。
そして、ガーネットは信じられない面持ちのまま、呆然といっせいに挙げられた、ガーネットとベアトリクスとイララ大臣の三人を除くすべての者の手を目にした。
 それがなにを示すかガーネットはハッと気がついて、怒りに任せて席を立ち、隣に立つイララ大臣を睨みあげた。
「おやおや、そんな表情をされてはせっかくの美貌がですな。花嫁はもっとにこやかに振舞わなければ」
 愉悦に満ちた表情を浮かべ、イララ大臣はそんな台詞を吐いた。
「卑怯者……!」
もてるだけの力で、イララ・クシュハルトを睨む。それで精一杯だった。
 ガーネットとベアトリクス──この二人を除いたこの場にいる者すべてが、スタイナーのようにイララ大臣に操られている────
これを卑怯と言わずして、なにを卑怯と呼べばいいのか。
「なぜ……、あなたの目的は、いったいなんなのですか?王座が目的なら、なぜ私一人を狙わずにこんな回りくどい手段を使うのです!?私一人を操れば、亡き者にすればよいでしょう!なぜ……!なぜ、彼を……!」
最後は、言葉にならなかった。彼が死んだなんて認めていないし、認めたくもないことだが、イララ大臣が『彼』を狙ったことは疑いようもない真実である。そう、自分のせいで彼が、狙われたことは……!
「……貴様らを傀儡にし、この国を操ることは私にはもはや赤子の手をひねるようにたやすいことだ」
 ガーネットとベアトリクスが睨みつける先で、イララ大臣は余裕の笑みを浮かべている。それがまた、ガーネットの心に怒りを募らせる。
「一時はそうしようと考えた。だがしかし、それでは面白みがなさすぎる。簡単すぎてつまらん。貴様をいまここで殺して王位を継ぐこともまた、しかり」
誇り高き女王も、傀儡になどなりたくはないだろう?とイララ大臣は眼光を緩めないガーネットに向かって問い掛けた。
「安心しろ。貴様には自我を失わせるような楽な道へは決してやりはしない。自我がありながら抗うこともどうすることもできない責め苦を味わわせてやる……。その美しい顔が羞恥と屈辱にまみれるところはさぞかし見物だろうよ。──……そう、その顔だ」
 ガーネットは爪が喰い込むほどに強く手を握り締めた。生まれて初めて、目で人を殺めることができたなら、と心の底から感じる。
それぐらい、ガーネットはイララ・クシュハルトに対して怒りを覚えていた。
「ところで、トラスタが自害したのは私が命令したからだということを覚えておりますかな」
「……ええ。忘れるはずがありません」
「あの蝶の鱗紛を浴びた者は、たとえ自害することですら命令であればやってのけてしまうのですよ。……私の言いたいことが分かりますかな? つまり、この私の一言で、この場にいる宰相、官僚、議員たち皆が次に取る行動が決定されるのですよ。────生きるも死ぬもな」
 ガーネットは唇を噛んだ。
イララ大臣の言わんとするところが充分すぎるほど分かってしまう。
そして、ガーネットに選択の余地はない。
不本意ながらもこの男に屈さなければならないことが、くやしい。
  ジタン……
心の中でそっとその名を呼んだ。
 ジタンに、会いたい。ジタンに触れたい。
彼は、本当にいなくなってしまったのだろうか。わたしを置いて?
 そんなこと、信じられない。信じられるはずがない。
 わたしは、ジタンがいい。
 ジタン以外の人は、いらない。ジタンでなければ、だめなの。


 でも、────もう、いないの……?


 さて、と場違いなほど落ち着いた声が耳に届いた。
「さぁ……先ほどの返答をまだ聞いておりませんでしたな。改めておうかがいいたしますよ、女王陛下。───この私と結婚する御意志はおありかな?」
ガーネットはゆっくりと瞼を伏せた。
  答えは、一つしか許されない。


 すなわち、『是』と────






 窓の外に広がる世界は、たくさんの灯火で光り輝いていた。
アレクサンドリア湖には、空に浮かぶ月や星たちが姿を写し撮られて、ゆらゆらと揺れている。
温かな灯りは人々の胸にも光をともし、闇から救ってくれる。月も星も、闇の中で唯一光を放って、人々を明るく照らしてくれる。
 ……けど、月や星の光は私を照らしてはくれない。救ってくれない。
窓のそばに立ち、眼下に広がる湖と城下町をガーネットはずっとぼんやりと眺めていた。
 ガーネットが「答え」を口にした後、ガーネットは自室に連れ戻され、そして軟禁された。
部屋に戻る時も、そして今も、ガーネットはずっと監視を受け続けている。
監視をしているのは、コウジュだ。
部屋にはベアトリクスもいるが、先ほどから言葉を交わしてはいなかった。
 ガーネットは魂の抜けたようにただぼんやりと窓の外を眺めるばかりだ。
今の自分には、城下町の温かな光が、遠い世界のことのように見えてならない。
 そっと、瞼を半分閉じた。
  私の光は、ジタン。
 私が暗闇の中で迷って、心細さと寒さに震えるとき。
 いつも暗闇から救い上げてくれて、寒さに震える体を温めてくれて、「こっちだ」って笑いながら明るく照らしてくれる、かけがえのない存在。
  いなくなってしまったなんて、嘘でしょう?
 目の前に突きつけられた血まみれの髪。太陽を思わせるような金色の髪が、真赤な血で侵されていた。
 すべてを信じることはできない。でも、彼になにかがあったことは事実。
「ジタン……」
  無事で、いて。
  お願いだから、
   祈るから、


  生きていて。





「……陛下」
 それまでまったく口を開かなかったベアトリクスが、静かに口を開いた。
ガーネットは目を開け、ゆっくりとベアトリクスを振り返ろうとした。けれどそれはベアトリクスに止められた。
「そのままで、お聞きください。陛下は……ジタンのことを深く想っておられます。だれよりも、彼のことを」
 突然そんなことを言われて、ガーネットは困惑した。
「どうしたの、ベアトリクス。突然そんな話を……」
「お聞きください。陛下がジタンのことを深く想っておられることを、私は知っております。そして、今度のことでそのお心を深く痛められていることも」
 いいながら、ベアトリクスはゆっくりとガーネットの方へと近づいた。
「それらを知っているからなおのこと、私も心が苦しいのです」
 ですから陛下、とガーネットのすぐ背後で声がした。ベアトリクスはやさしくガーネットの頭を抱きこむように腕をまわす。
「お逃げください」
そして、
 シャキン……とわずかな金属音が耳元で響いた。……聞き覚えのある音だった。






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