L`ord's Prayer
<4>



─主よ、我の願いを聞き届けたまえ─





「まさか、トラスタも……!」
 ガーネットの絞りだすような言葉に、イララ大臣はニタリ、と顔を歪めた。
「もとはと言えば……すべて貴様が悪いのだ、女王」
 がらりと口調を変えたイララ大臣に、知らず二人は戦慄した。
「なにを……!」
「貴様はわたしの穏便な策を退けた。おとなしくコウジュと結婚していれば、こんなまわりくどいことはしなくても済んだのだよ。……いや、育ててやった恩を忘れて裏切るような奴に女王陛下を嫁がせていたなら、いまごろどうなっていたか分からんがな」
  裏切る……?
 コウジュ……アルクゼイドが、イララ・クシュハルトを裏切ったというのだろうか。
「……どういうことですか?」
「せっかく街のごろつきどもを操り、貴様を亡き者にする絶好の機会を得たと言うのに……奴は邪魔をしおった。奴には女王を殺せと言ってあったというのに……これが裏切りでなくて何だね?」
  街の、ごろつき。
 あのときのことか!とガーネットは思った。先日の、クシュハルト邸でのことだ。
宴に突然乱入してきたごろつきたちが、ガーネットを襲ってきた。危ういところをコウジュことアルクゼイドに助けられ、ガーネットは死なずにすんだ。
もしやごろつきどもは誰かの差し金か、と思いその後女王に刃を向けた罪人たちの引渡しをベアトリクスはイララ大臣に求めたものの、返ってきたのはすでに処刑したとの返答だった。その証拠も渡されたため、ベアトリクスにはそれ以上なにも言えなかった。やはり、あれはイララ・クシュハルトの仕業だったのだ。
「アル……コウジュはどうしたのですか?!まさか!」
 刃を突きつけられてもなお庇おうとするベアトリクスの背中から乗り出すようにして、ガーネットはイララ・クシュハルトに詰め寄った。
「私がかわいい息子を殺すとでも思ったか?」
 そんな彼女を、ハッ!とイララ・クシュハルトは鼻で笑い飛ばす。
「だが貴様の知るコウジュ・クシュハルトはもうおらん。あやつもまた、このわたしに忠実な傀儡と化した。これでもう、私を裏切ることはあるまい」
 そんな、とガーネットの唇が動いた。
 先日の行幸のとき、厳めしい顔つきのイララ大臣は家族のことを話すときにだけ惜しげもなく柔らかな笑みを浮かべていた。そのイララ大臣が、コウジュを傀儡にするなんて!
「あなたは……!」
 ガーネットが怒りを込めた目でイララ・クシュハルトを睨む。
その目も平然と受け止め、イララ大臣はフンと鼻を鳴らした。
「つい先日、奴に命令を下した。邪魔者を消せとな」
ハッと息を呑み、まさか、と声をあげたのはベアトリクスだった。
ガーネットは訝る顔でイララ大臣を睨む。
そんな彼女に皮肉な笑いをうかべ、イララ大臣は付け足した。
「ここ数日、女王陛下は情夫の姿を見ていないのではないですかな」
 ガーネットは瞠目した。
それは決して『彼』を情夫などと呼ばれたことに対してではない。
 それは、喪失への恐れ────
「そんなこと」は絶対にない、と強く思う。『彼』の強さを、自分はとてもよく知っている。
けれど、けれど心のどこかで、もしやと声がする。
  ジタン……!!
ガーネットはかたく目を瞑り、頭を振った。
「いいえ……いいえ、彼は死んだりしないわ……」
彼は自分をおいて死んだりする人ではない。
  絶対に、殺されてなんて、いない……!
 まるで自らに言い聞かせるように首を振るガーネットに、ベアトリクスはたまらずガーネットを支えた。突きつけられたスタイナーの剣を気にもとめず、ガーネットの細い肩を掴む。細い肩は、静かに震えていた。
陛下、と気遣う声をかけたところで、がちゃりと部屋の扉が開いた。
そこ立っていたのは、見覚えのある青年。
「コウジュか」
 その言葉にガーネットははじけるように顔を上げた。戸口に視線を向ける。
 そこにいたのは、まぎれもなく、コウジュだった。けれど、コウジュではなかった。
 そこにいたのは、まさに、傀儡。
 光のない、冷たい目でこちらを見ている。
ガーネットは心の中に氷が流れこんでくるのを感じた。
「守備の方はどうだ?」
 イララ大臣に問われると、コウジュは無言で右手を突き出した。
その手に握られているものを見ていち早く反応したのは、ガーネットだった。
「いやぁぁっ!」
 今度こそ悲鳴をあげ、ガーネットは顔を手のひらで覆った。その隣で、ベアトリクスは信じられない面持ちで、食い入るようにコウジュの手に握られているものを見つめつづけた。
「ほう、これは……」
イララ大臣は手を伸ばし、コウジュの手に握られているものを受け取った。目の近くまでもっていき、手にしたものをしげしげと観察する。
 『それ』は、端を青い結い紐で束ねられていた。
金色の糸のようにも見えるが、触れてみると人間の髪の毛であることがわかる。
不揃いなその髪の毛には、赤い血がべっとりとこびりついていた。
「なるほどな……。死体を見たいところだが、ここまで運べば厭でも人目につく。よかろう、これで充分だ」
 にたりと笑い、イララ大臣は傀儡を褒めた。褒められた傀儡は、なんの反応も返さない。
ガーネットは、足場が突然なくなってしまったかのような感覚に陥った。
体の力が空気のように抜けていって、倒れこみそうになるところをベアトリクスが横から抱え込んだ。
心が、凍りつく。
 彼が、いなくなった────
「うそよ……!」
 わななく唇で声を絞り出す。
「うそだわ!ジタンは死んでなんかいないわ……!」
 顔をそむけるガーネットにイララ大臣は歩みより、目の前に血に濡れた金髪をもつ手をことさらに見せつけた。
ガーネットはかたく目を閉ざし、耳をふさいだ。ベアトリクスはガーネットを守るように腕に抱きしめ、イララ大臣を睨みつける。
「よく見ろ。貴様の情夫はこの世から消えたのだ」
吐息がかかりそうなほど近くに顔を寄せ、イララ大臣は囁いた。
ガーネットはかたく目を閉ざして身を強張らせ、つきつけられた事実を否定するように何度もかぶりを振る。
 嘘だと、なにかの間違いだと強く思う。いや、願っている。
  ジタン…………!
 そのガーネットの様子を満足そうに眺めて、イララ大臣は唇を歪めると身を離した。
「目障りな輩がこの世から消えたところで……さて、そろそろ会議の時間だな」
 そうまるで何事もなかったかのような口調でイララ大臣は言う。
「まさか一国の女王ともあろうお方が、たかが情夫がいなくなったくらいで重大な会議を欠席なさったりはするまい……。先ほどの返事は、また後ほどお伺いしましょう。良い返事を期待しておりますよ、女王陛下。──スタイナー、お二人を会議室へとお連れしろ」
 くれぐれも逃げられないようにな、と付け加えると、イララ大臣は四人を置いて、笑いながらゆっくりと扉から出て行った。
「陛下……」
ベアトリクスが気遣うように声をかける。
だがしかし、ガーネットはなにも反応できなかった。
操られたスタイナーが、二人を部屋から追い立てるように剣を向ける。
「スタイナー……!」
 完全に傀儡と化した彼に、ベアトリクスはすがるような声を洩らす。
 その腕の中で、ガーネットは静かに震えていた。
  ジタン……!
 きつく閉じたガーネットの瞳から、一筋の涙がこぼれて床を濡らす。
それと同時に、髪からするりと銀の髪飾りがすべり落ちて音をたてた。



  渇いた音だった。






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