L`ord's Prayer
<1>



─主よ、我の願いを聞き届けたまえ─





 ───事件は、昼のさなかに起こった。





 予想もしなかった。誰も、夢にも思わなかっただろう。
 気づいたときには、すでに遅かった。
 鋭く光る刃が女王めがけて振り下ろされるのを止められる者は、いなかった。
 会議が終了し、人がまばらとなった会議室で、その刃はきらめく弧を描いた───





 ある日の、ごく平穏な日中に起こった出来事だった。
先日女王はトレノへと視察に赴き、そこで暴漢に襲われるという事件が起こったが、アレクサンドリアへと戻ってきてからは何事もなくいつものとおりに政務をこなしていた。
そして、その日もアレクサンドリアの女王はかねてから予定されていた会議に朝から出席し、復興が進みつつある城下町の状況やこれからのことについていろいろな取り決めをなしていた。
あらかたの問題を処理し終え、会議は昼頃に解散された。
その後、女王は会議室で決定した内容をもう一度整理しなおしていた。
不運なことに、そのときは護衛の騎士であるスタイナーやベアトリクスは、そのそば近くにはいなかった。
その会議には騎士や将軍・武人の出席は認められておらず、出席が認められていたのは宰相や大臣、そして一部の官僚だけであった。会議の間二人はどちらかが会議が終わるまで入り口にて警備し、そして会議が終わり、女王が部屋から出てくるのを待って側近くで護衛をする、という具合に。
ガーネットが会議で使用した資料を片付けていると、一人の男が近づいてくるのがわかった。
会議に出席していた、官僚の一人であった。
日頃優秀で、なにかとよく気がつき、ガーネットも信をおいている人物だった。だから、どこかいまの取り決めで不明なところでもあったのだろう、とそうガーネットは考えた。





 ──身を引いたのは、反射的だった。
そうすることができたのは、あの熾烈な戦いの日々に身をおいていたからに違いない。毎日が戦いの連続で、ほんの一瞬が生きるか死ぬかを左右したあの日々に。
 視界がスローモーションになる。
 男が、ゆっくりと自分めがけて刃を振り下ろす。
 弧を描く刃から、身を引く。
そのとき、体がかしぐのが自分でもやけにはっきりと感じた。
 長い漆黒の髪は遅れて、宙に取り残される。
 目の前を、きらめく刃が走り抜けた。
 同時に、ザシッ……といういやな音が、耳につく。
 視界の中で、一房の黒髪が軽やかに宙を舞う。
 その向こうに、男の表情が見えた。
 ───逃げなければ。
 いまや体中、すべての感覚が、危険信号を訴えている。
「陛下!!」
 低くなる視界の向こうから、巻き毛の女性が走ってくるのが見えた。
自分は床に倒れる衝撃とともに体を転がせ、男から離れる。
彼女はすぐさま腰につけていた剣を抜き、女王に刃を向けた男へと切りかかった。
 男の剣が霧の大陸で一、二を争う腕前のベアトリクスの剣に勝てるはずもなかった。ベアトリクスは容赦なく男に剣を振り下ろす。
 きぃん……!と金属音が響いて、次の瞬間にはもう男の持っていた刃は宙を舞っていた。
すかさずベアトリクスは間合いを詰め、抵抗するすべを失った男の首もとへ、ぴたりと間違いなく剣をあてる。
「陛下、おけがは?」
「ないわ、大丈夫……」
 近くにいた官僚たちの手によって男は押さえられ、すぐさまその体を縄で拘束された。
騒ぎを聞いて駆けつけてきたスタイナーは初め取り押さえられた男をはっと見、なぜ、と呆然と呟いた。だがすぐにいつもの様子に戻り、今はにらむようにして彼を見張っている。その視線の先で、男は青白い顔をして一点をずっと見つめていた。
「官吏の身でありながら女王に刃を向けるなど、なんと恐ろしいことを……」
 何人かの官僚や大臣の口からはそんな声が漏れて、城内は騒然としている。
ガーネットは、つい先ほど自分を襲ってきた男に目をやった。
 彼の名は、トラスタ。歳は三十半ばあたりで、主にアレクサンドリアの現状をいろいろな面で調査し、女王に報告する仕事にあたっていた。城下街の者たちとも仲がよく、民の声を一番熱心に聞き、またそれをよく報告して適切なアドバイスをくれたのも彼だった。
人当たりのよさがにじみ出るかのような雰囲気と、三十代という男盛りのままに立派な体格をしており、彼を慕う若い官吏は後を絶たなかった。
 それなのに、今目に映っているトラスタは、以前とは様子が全く違った。
人当たりのよさそうな雰囲気は消えうせ、そのかわりに全身から憎しみの感情を漂わせていた。あんなにたくましかった体は痩せ、なのに両の目だけはぎらついていて、じっと一点を睨んでいる。
その目を見た瞬間、ガーネットは体が指の先から凍えていくのがわかった。
「彼と、話をしたいのだけど……」
 なぜ自分を襲ったのか、その理由が知りたくて自分を支えるように肩に手を添えるベアトリクスへそう呟いた。
「陛下。危険です」
 ベアトリクスは毅然とした顔で答え、負けじとガーネットは言い募る。
「なぜ私を襲ったのか、聞きたいの」
「な……」
 なりません、とベアトリクスが言いかけたそのとき。


「男にうつつをぬかす女王に、正しい政治なぞできるものか!」


叫んだのは、縄で捕らえられたままの男。大きく開かれたぎらぎらとしたその両の目に、ガーネットは思わず背筋に寒気がはしった。
「男にうつつをぬかす女王に、正しい政治などできるはずがない!このアレクサンドリアをさらなる破滅へ導くだけだ!」
「だまれ!」
スタイナーが男の肩を引っつかみ怒鳴る。それにも関わらず、男は続けた。
「誰も口に出そうとはしない、だから私がこうして奏す!おまえは間違いなく暴君となる。アレクサンドリアの過去の暴君を見ればすぐにわかる。暴君の傍らには男の影がいつもある!男にうつつをぬかして国を見ず、民を見ず、政治を怠るからだ!おまえもアレクサンドリアを破滅へ導く!だから、アレクサンドリアが破滅へと歩む前に、この私が!アレクサンドリアを救おうと思ったのだ!」
「だまれと言っている!」
「何度でも言ってやろう、すぐにおまえは女王の座から引きずり落とされるべきだ!」
「連れて行け!」
 スタイナーが叫ぶと、すぐにプルート隊が男を引きずるようにして部屋の外へと出した。これ以上の言葉を、うら若き女王に聞かせたくはなかった。
男はそれでもまだ女王を罵倒しつづけた。部屋の外へ連れ出されてなお、その声はえんえんと響いてガーネットの心を打ち砕いた。
「ガーネット様。顔色が……」
「……大丈夫」
 心配そうなベアトリクスに笑ってみせようとして、失敗する。顔はこわばって動いてくれなかった。
「女王陛下。大丈夫ですかな?」
 低い、その声にガーネットははじけるようにして顔を上げた。その声の主が、議会でも有力な発言力を持っているイララ大臣であるとすぐに分かったからである。
つい先日、トレノにあるこのイララ・クシュハルト氏の屋敷に滞在して危険な目に遭ったことはまだ記憶に新しい。
「はい。どこにも怪我などはしておりませんし……」
「それは結構。それにしても、恐れ多い輩ですな。官吏の身でありながら女王陛下を亡き者にしようとするなど」
「…………」
「まぁ、逆に言えば、そうまでしてもあなた様に訴えたかったのでありましょうな。聞けば彼は民と貴方様の窓口だったという話。もしやあんな恐ろしい行動も、幾多の民の願いか……」
「イララ大臣!」
 ベアトリクスが制止するように名を呼ぶ。
 聞きながら、ガーネットは知らずドレスの布をきつく握り締めていた。この大臣とは話していたくない、はやく逃げよう。
「イララ大臣、失礼ですがもうよろしいでしょうか。陛下の顔色が優れませんので、はやく自室へとお連れしたいのですが」
「おお。これはこれは、気がつかずに失礼をいたしました」
 ベアトリクスが助け舟を出すと、大臣は目に見えてしぶしぶと引き下がりガーネットはベアトリクスに支えられながら立ち上がった。
 顔色が悪い自覚はあった。体が震えている自覚も。
目の前で剣を振り下ろされた衝撃から、頼りにしていた官吏の裏切りの衝撃から、まだ抜け出せていなかった。
けれど顔をあげ、震えは握りこぶしで抑え、まっすぐに前を見て歩き出す。
『……王とは、民に決して不安な表情をみせてはならないもの。民を束ねる王が不安を見せれば、民も必ず不安になる。よく覚えておきなさい、ガーネット』
小さなころから幾度も言い聞かされてきた言葉だ。王としての心構え、それを小さなころから何度もガーネットに諭してきてくれた人たちは、もはやトットだけになってしまったけれど。
毅然とした態度で、官吏たちがあける道を進みだす。
「陛下」
イララ大臣とすれ違うさま、耳元へはっきりと聴こえた言葉。
「忘れてはなりませんぞ。あれは、まがうことなき民の声。アレクサンドリアの民の一人の声です」
 ガーネットは無言のまま大臣の横をすり抜け、部屋から退出していった。
廊下は騒然としており、現状を確かめようと官吏たちでいっぱいだった。どの官も、ガーネットとベアトリクスの姿を見るなりおろおろとして二人を見る。
そのなかを、ガーネットはまっすぐ前をみて、しっかりとした足取りで歩いた。






 王宮の主とした廊下を抜け、二人はガーネットの寝室へと歩を進めた。
ガーネットの私室へとつながる廊下で人がようやくまばらになり始め、ガーネットはすこし歩く速度を緩めた。
「……ベアトリクス」
「はい」
 視線は動かさないまま、顔も動かさぬまま、ガーネットは口だけを動かす。
「お願いがあるの」
「なんなりと」
「……ジタンには、どうかいまのことを知らせないでほしいの」
 必死で声が震えるのを抑えたが、だめだった。ベアトリクスが、そっとガーネットの背中に手を添える。
「陛下……」
「お願い。心配させたく、ないの。それに、今回のことは、わたしの力量が足りなかったせいで、起こったことだから……」
「しかし」
すぐに知ることとなるのでは。そう言いかけて、ベアトリクスは口をつぐんだ。
 城の官吏たちがこんなにも騒いでいるのだ、ジタンの耳に届くのは時間の問題だろう。彼は今日、リンドブルムの方へと出向いているらしいが、帰ってきたらすぐに異変に気づくはずだ。それでも、できる限り知らせないようにとガーネットは望んでいる。
「承知いたしました。できる限り、努力いたしましょう」
 ガーネットはようやく少し微笑んで、ありがとう、と返した。
 ……本当は、彼に、言うべきなのかも知れない。


────『自分の「居場所」を……おまえを、守らせてくれよ……───頼むから……』


 先日、トレノのイララ・クシュハルト氏の館へとジタンになにも告げずに赴いた。危険と分かってはいても滞在を拒否するすべもなく、せめて彼だけは巻き込まないようにと一切何も告げずに、不安を抱えてクシュハルト邸の門をくぐったのだ。
けれど、彼は自分を追ってきていた。トット先生によって連れてこられ、そしてすべての説明もトット先生から受け────何も告げなかった私を叱った。
 あの時、告げなかったことを後悔したのに、いまもまた、同じことを繰り返そうとしているのかもしれない。
  でも、今回のことは────…………
 ガーネットはぎゅっと自分の胸のあたりで手を握り締めた。
  『女王』としての、わたしの、責任だわ────
 知らせれば、彼は確実に傷つく。自分がそばにいるから、と自分自身を責めてしまう。
そうなれば、彼はわたしのためにわたしのそばからいなくなってしまうかもしれない。
そんなのは、いやだ。
 だから、秘める。




……アレクサンドリアにいま、静かに嵐が訪れようとしている。
まだ、だれも、はっきりと気づいてはいない。






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