狂爛の宴
<epilogue>





 騒ぎが起こったせいで、宴は中止され、女王一行も予定より早くアレクサンドリアに戻ることとなった。
帰る仕度をするためにそれぞれのあてがわれた部屋へと戻ったのだが、ジタンは部屋の扉を開けて息を呑んだ。
ジタンはトットの見習いとして(もうすっかり正体はばれているが)この屋敷に来たので、トットと同室だった。そのトットの姿が先ほどの大広間にはなかったので不思議に思ってはいたのだが……。
「トット先生……」
ジタンは一応呼んでみた。だが、返事はない。
部屋の中には、昨日にはなかったはずの、本の柱が出現していた。
大量に本を積み重ねられてできた柱で、その高さは天上に届きそうなほどだ。それが、何本もある。そして、よくよく見てみると、その柱が囲いのようになっていて、その中心部は柱がなく、空いていた。
そこになにやら、人影が見える。
  まさかとは思うけど……
 ジタンはその光景を見てあきれ返った。
  ずっと、本読んでたわけじゃ、ねぇよな………?
 一応疑問形だが、確信に近い。
主が宴で危ない目に遭ったというのに、この宰相は…………
肩をがっくりと落とし、盛大に溜息をはく。
そのとき、誰かが背後で扉をノックする音がした。
振り返ると、コウジュが扉にもたれるようにしてこちらを見ている。
「やぁ。……ちょっといいかい?」






数刻後、まだ夜も明けきらぬうちに、街の外に着陸したレッドローズに今回の行幸にお供してきた侍女たちや衛兵たちが次々と乗り込んでいく。
アレクサンドリアのレッドローズは、大戦後に霧がなくても飛べるようにリンドブルムの技師たちによって改良された。
 ガーネットはレッドローズを背にして立ち、見送りに出たコウジュと向かいあう形になった。ガーネットの隣には、ジタンが控えて目を光らせている。
イララ・クシュハルト氏は、姿を見せていない。
「セーラ、これを」
 そう言ってコウジュが差し出したものを受け取って、ガーネットは首をかしげた。
コウジュから渡されたのは、二つのピアスだった。明るい黄色の石がついている。この色と輝きは、トパーズだろう。
 しかしなぜ、自分にこんなものをくれるのか。
 コウジュは戸惑うガーネットに、微笑んで説明した。
「これは、村を出るときにきみのお父さんから、もし会えたならきみたちに渡してくれと頼まれたものなんだ」
 え、とガーネットは目を丸くした。
「お父さんが……?」
「うん。これは、きみのお父さんがもとはひとつの石から削ってつくったものなんだ。セーラと……セーラのお母さんのために。おばさんは間に合わなかったけど、きみが二つとも持っておくといい」
 手のひらの上に転がった二つの小さなピアスを、ガーネットは愛しむようにそっと包んだ。目を閉じて、遠い地で眠っている父に、そっと思いを馳せる。
「……それと、伝えて欲しいと言われた言葉がある。───言うよ?」
ガーネットがうなずくと、コウジュは息を吸い込み、軽く目を閉じた。そして、彼女に伝えてほしいと頼まれた言葉を、ゆっくりと紡ぐ。


────『おまえたちがどこにいても、わたしはおまえたちの幸せをいつでも願っている』────


その言葉をゆっくりとかみ締め、ガーネットは心の中に刻み込んだ。
  お父さん…………
「ありがとう、アルクゼイド。……あなたが生きていてくれて、よかった」
ふわりと笑って言うガーネットに、コウジュも微笑みかける。
「僕も、きみに伝えることができてよかった。きみが生きていると知った時は、どんなにうれしかったことか」
 気をつけて、と最後にコウジュは言った。
「また、会いましょうね」
 そして、ガーネットはジタンとともにレッドローズに乗り込んだ。
やがてエンジンの音が大きくなり、レッドローズはゆっくり宙に浮く。
ガーネットは甲板から見下ろして、手を振る。コウジュも、それに応えてくれた。
それもだんだんと遠ざかって、見えなくなってしまうまでガーネットはずっと下を見下ろしていた。
「ね、ジタン。まだ怒っているの?」
眼下を眺めたまま、ガーネットはそっと隣にいるジタンに問い掛けた。
ジタンは、ずっとガーネットの隣にいた。けれど、あの騒ぎのあった宴の後からは、まったく口をきていなかった。
いまも、憮然とした顔でレッドローズの手すりに背をもたせて腕を組んで立っている。
黙ったままで答えてくれない青年にガーネットは眉尻を下げ、彼の顔を覗きこんでみた。
「ジタン?」
空色の瞳に自分の顔が映る。
そのとき、はじめて彼が反応を見せた。……ガーネットには、思いもよらない反応だったけれど。
「……ジタン?」
 ジタンの両腕が、そっとガーネットの腰を捉えた。
「怒ってない。……ごめんな、ぴりぴりしちまって」
そう言って優しく微笑むジタンに、ガーネットはほっと安堵した。
いつもの彼の笑顔だった。
「でーもーな、ガーネット。これからは、ダンスを申し込まれても、おれ以外の男と踊るんじゃーないぞ」
続けて言われたその言葉に、ガーネットはきょとんとして彼を見上げた。その顔は、あどけなくて、ジタンが心配になるほど無防備だった。
  ……自覚と警戒心が、イマイチないんだよなぁ……
「……なら、ジタンも約束をしてくれる?」
「なに?」
「ジタンも、ほかの子とは踊らないって」
 笑って言う彼女がかわいくて、ジタンは知らず彼女を抱く腕に力を込めた。
反応が見たくて、わざとふざけるように言葉を返す。
「ハイ、わたくしジタン・トライバルは、生涯女王陛下以外の女性とは一切踊らないことを誓います。それが女王サマのお望みとあらば」
「もう!」
 ふざけた物言いにガーネットが怒ってジタンの胸をぽかりと叩く。
その反応が面白くて、ジタンは声をだして笑った。
「もう、ジタン!」
笑い出した彼に拗ねて、ガーネットが頬を膨らませる。
その向こうで、ベアトリクスや侍女が楽しそうにこちらを見ている。
 笑いながらふと、ジタンは気にかかっていることを思い出した。
トレノから去る前、コウジュがジタンのところへやってきたときの会話。




『ちょっと、お別れをする前にきみと話しておきたくてね』
『おまえ、もうガーネットのことはあきらめたのか?』
『…………彼女は、縁談を断り、あの時きみの名前を呼んだんだ。未練がましくするつもりはないよ。それに……』
『それに?』
『いや、なんでもない。それよりも、ジタンくん。───セーラを、頼むよ』
『……なんで、おまえによろしくされなきゃいけないんだ?』
『僕がそばで守りたいところなんだけど、僕は、いまから服役しなきゃならないから』
『服役?』
『女王陛下から罰を言い渡されたからね。二度と彼女が狙われることがないように、しなければならない』
『おまえ、つまりそれって……おまえの親父をなんとかするっていうことか?』
『ジタンくん』
コウジュは、真摯なまでの瞳で言った。
『気をつけて。「あの人」は、まだあきらめていない』




 ……コウジュが最後に言った、あの言葉が気になる。
『あの人』とは、イララ・クシュハルトのことのはずだ。だけど、なにか引っかかる。
なにごとも、起きなければいいが────………






ここは暗い街。暗い部屋。太陽の光が届かない、暗いところ。
あるのは、暗闇。暗闇と、暗闇をわずかに照らす燭台の火、そして、人間の欲望。
また、ちろちろと燃える燭台の火の中に、人間の欲望が放り込まれる。
「────女王陛下の命を、助けたそうだな」
蝋燭の明かりに照らされて、人間の影が浮かび上がる。
ゆらゆらと揺れて、定まらない。
「お言葉ですが、父上。なぜあのような者たちを使ったのですか。私を信じては、くださらなかったのですか」
「信じていたさ──……。しかし、裏切られるとは思いもよらなんだ。おまえは女王の命を絶つ絶好の機会を邪魔し、そして獲物を逃がした。これが裏切りでなくてなんだというのだ?」
「父上……」
影が、揺れる。その揺れる影に覆い被さるように、またどこからか蝶が現れて、影を喰らった。
「おまえだけは……裏切らんと思うておったのに」
「父上、目をお覚ましください!あんな手段を使ってまであの国を手に入れたいなどと、父上は望んではいらっしゃらなかったはずです!それに……それに、母上は、もうすでに亡くなっておられます!あなたは、母上のためにさらなる権力を望んだのでしょう?その母上は、もうこの世にはいらっしゃらないのですよ!」
 影が、揺れた。蝶の影は、動かない。男の影だけが、苦しそうに揺れる。
「目をお覚ましください父上!母上は、父上にこんなことは望んでいらっしゃらないはずです!」
 青年は懸命に訴えた。相手の悲しい行動をどうにか止めようと必死で。
「……………───そうか……」
「父上!」
「あいつらが──……ディアナを殺したのだな……?」
「父上!?」
「あいつらが、ディアナを───ディアナをっ!!」
「父上!それは違う!!」
「コウジュよ……。おまえだけは、わしを裏切らんだろうと思っておった。だが、それは間違いだったようだ」
 蝶の影が動いた。青年のそばをひらひらと飛び回り、そしてその身から光る粉を降り注いだ。
「これは……っ父上!」
「さらばだ、コウジュ」
 青年の影が倒れる。
 意識を失う直前、青年は十一年間探し求めた少女の姿を思い描いた。
 彼女は、美しい女性に成長していた。
 ……けれど、皮肉なもので、彼女の生存を知ったのは自分を本当の子供のように育ててくれた義母を失ったときだった。
 そして、彼女の生誕祭で、間違いなく『彼女』であると確信した、その直後に、自分の恋は敗れ去った。
 十一年間追い求めて、探しつづけて、その結果がこれだなんて。



  ────………セーラ………



 青年は、静かにその瞼を閉じた────



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