眠らぬ街
<3>



「……わたくしがそれを言うその前に、あなたが何者か、教えてくださいませんか?」
「ん?おれ?」
 ええ、と答え、ガーネットはソファに腰掛ける。視線はじっとジタンに向けたままで、答えをはぐらかすのを許さなかった。
ガーネットの見つめる先で、ジタンのしっぽが左右に二度ほど揺らめく。
「……そうだなぁ。一応この街では、貴族ってやつをやってるよ。このトライバル家の、管理やら采配やらなんやら、すべてをおれは任されている」
「あなたが?」
「そう」
意外?といたずらな笑みを浮かべて問ってくる。
「なぜわたくしのことを知っているのですか?」
「ああ、簡単だよ。アレクサンドリアの姫君はまるで妖精のような顔立ちだって、有名だからな」
「なぜ、わたくしが追われていることを?」
「まぁ、ある所から情報が、な。───さぁ、こっちの質問に答えてくれないか?」
いたずらな笑みを浮かべたまま問うジタンに、ガーネットは言葉を探すように視線をさまよわせ、二、三度口を開いては閉じた。
「あなたは、わたくしの味方だとおっしゃいました。その言葉に、偽りはありませんか?」
「ない。おれはきみの味方だ。誓うよ」
「……その言葉、信じます」
 うなずき、ガーネットは差し出されたソファに腰掛けた。確かめるように、一度胸へ手をやる。その部分の服の下には、確かな硬い質感が。
 なにからお話したらよいのかわからないのですが、と前置きする。
「わたくしがアレクサンドリアの城を飛び出したのは───お母様の様子が、おかしくなってしまわれたからなのです」
「ブラネ女王の様子が?」
 ええ、とうなずく。
「いつからなのかははっきりとはわかりません。でも、お父様がお亡くなりになったとき、あの頃から、すでにお母様のご様子はどこかおかしかったのです。以前はとても大切にしていた薔薇園の手入れをなさらなくなり、城には女王陛下から特別に許されたという変な人たちが頻繁に出入りするようになって……。わたくしは一度、そのことをお母様にお尋ねしたのですが……逆にお叱りを受け、部屋に閉じ込められてしまいました」
 言葉をつむぎながら、服の下の硬い感触をまた確かめるように握り締める。




『おまえの誕生日がくるまで、決してこの部屋からは出さないよ。それまでおとなしくしておくんだね』




 耳に残った言葉。最後に聞いた母の声。
いつもやさしかった母が自分を監禁するなどと、どうして予想できただろう?
「どうやって逃げ出したんだい?」
「料理を運ぶ係の者が見かねて、わたしを外へと逃がしてくれたのです。わたしは城を出、お父様の親友でいらしたシド大公のいらっしゃるリンドブルムへと向かう途中で、この街に立ち寄ったというわけです」
「なるほど……」
「さっき私たちを追いかけてきたのは、わたくしの護衛を任されていた騎士です。きっと、わたくしを連れ戻しに追ってきたのでしょう……」
 お母様の命令で、とガーネットは付け加えた。うつむき加減で、その視線は紅茶のカップへと注がれている。カップの中では、顔を曇らせた自分が、ゆらゆらと映っている。
「……ひとつ、訊いてもいいかな?リンドブルムに行くって言ったけど、リンドブルムでどうするつもりなんだい?」
「シド大公にお会いして、お母様のことをお話するつもりでした。シド大公ならば、なにかよいアドバイスをくださるかと思いまして。それに、わたくしには、他に行くところが……──」
 それだけ話すと、ジタンはなにかを考え込むようにして黙った。ガーネットも、話す言葉がなくて、黙る。
  ───ほんとうに、この人に話してもよかったのかしら?
 そうちらちらと頭の中に疑問が起こる。だが、城の外の世界をほとんど知らない自分にとってアレクサンドリアからこのトレノまでの道のりは不安で孤独で、ガーネットは心身共に疲れていた。また、誰かに母の様子のことを話したい、と、そうとも思っていた。


「……あのさ」

 しばらくしてそう切り出され、ガーネットはいままでうつむいていた顔を上げた。
見ると、ジタンは少し言いにくそうに二三度ガーネットと目を合わせてはすぐにそらした。
「なんですか?」
 その態度に焦れて、ガーネットは先を促す。
ジタンは言いにくそうに、ええと、と呟いた。そして、



「───この屋敷で暮らす気、ない?」









「へい、いらっしゃい」
 トレノの街にある、ちいさなパブ。
トレノの街といっても、下級庶民が住む、貴族たちに言わせれば『ごみ捨て場のような地区』のなかにひっそりと建っている、すこしおんぼろな建物だ。
 そのパブの中へ、いま一人の客が入っていった。
店の中は薄暗く、奇妙にひん曲がった椅子やテーブルが不規則に置いてあるが、その客は特に気にすることもなくでこぼこなカウンターの席に腰掛けた。
 その隣の隣の席では、なにやら重たそうな鎧を装備したまま酒をがばがばと飲み、顔を真赤にした男が座っていた。
入ってきた客はちらりとその男に視線をやり、空けた酒のボトルの数を何気なく数えてみると、なんと六本だった。尋常ではない。
「注文は?」
「そうじゃな……」
 なにがあるかと問いかけようとしたとき、鎧の男がやけ気味に呟く声が聞こえてきた。
「姫様ぁ……」
 もう一度ちらりと男に視線をやり、シェリー酒をたのむ、とバーテンダーに言うと、その客は静かに席を立った。
「完全な飲みすぎじゃな」
鎧の男に近寄り、そう声をかけると、男はふぁ?と不明瞭な声を出した。
「なぜにそこまで飲む?なにやら、忘れたいことでもあるのか?」
 ……トレノの夜は、更けてゆく。


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