眠らぬ街
<4>




 眠らぬ街・トレノ。
その街は眠らない。
貴族は優雅なお茶を飲み絶えず宴を開き、そしてもっと私腹を肥やす知恵を寝る間も惜しんで働かす。一方下級の民は日夜働きつづけるか絶えず酒を慰めにするかのどちらか。


 ───けれども、そんな街にその両方にも当てはまらない者たちもいる。


「ジタン。ジタン、あの、起きてください」
 健やかな寝息をたてながら大きなベッドで眠りをむさぼり続ける少年に向かって、先ほどから少女は慣れない仕種でどうにか相手を起こそうと奮闘していた。
 屋敷の外観や他の部屋は華々しく、高価な彫刻類や見事な絵画たちで飾り付けてあるというのに、この部屋だけはいっそ質素で、装飾品など一つもなくあるのはベッドと手紙を書くための机、そしてクローゼットだけ。しかもこれがこの屋敷の主の部屋というのだから、驚きだ。さらに驚くのは、この立派な屋敷の主でありトレノでも有数の貴族でもある人物は、なんとまだ十六歳であった。
 いくら声をかけてみても揺さぶってみてもまったく起きる気配を見せてくれない主に、少女は困り顔になる。人を起こすなどということを生まれてこのかたしたことがない彼女にとっては、重労働であった。
 真新しいメイドの服に身を包んだ彼女は、この屋敷に初めて来てからまだ二日とたっていない。さらにいうと、昨日までは客人として屋敷に置かれていたので、メイドとしてこの屋敷で働くのは今日が初めてである。
だがそれを考慮しても、彼女はどうしてもただのメイドには到底見えなかった。
白い肌に映えるさらりと流れるまっすぐで綺麗な黒髪、ひと目見ただけで忘れられなくなるまるで妖精のような容貌に、高貴な気品が漂っている。
落ち着いた色のかわいらしいメイドの衣装はよく似合っているが、彼女が身につけるとメイドの衣装などではなく、まるで淑女のドレスのようであった。
それもそのはず。彼女は大陸で一二を争う王国の王女なのだから。
事情により城を飛び出し、リンドブルムの知り合いのもとへ行く途中トレノに立ち寄り、そこで賊にからまれたところを助けてくれたのが、この屋敷の主・ジタンだった。
ジタンは自分の正体もなにもかもをなぜか知っており、そして一緒に暮らす気はないかと尋ねてきた。
もちろんはじめは丁重にお断りしたガーネットだが、彼にあるものを見せられて、この屋敷にとどまることにした。
 それは、他でもない、これから訪ねていくはずの相手・リンドブルムのシド大公からの直筆の手紙だった。
それには、今はリンドブルムを訪れるよりも、トレノにとどまっていた方がよいという内容だった。さらには、ジタン・トライバルは信頼のおける人物だとも書いてあったのだ。
こちらの行動をすべて見透かしたような手紙に驚きを覚えるとともに、シド大公の言うとおり、トレノ……すなわちトライバル邸にとどまることを決めた。
 そして、ジタンはさらにガーネットに極力外には出ず、メイドとしてこの屋敷にとどまることを勧めてきた。
ジタンいわく、『その方が屋敷の中を歩きやすいし、もし窓から遠目に姿を見られてもキレイなメイドで済むから』だそうだ。ガーネットはなんだかうまく丸めこまれたような気がしてならないが。

そんなこんなで、その彼女にとって、朝一番に主を起こすというこの仕事が、初仕事となる。
「ジタン、あの、起きて……」
「んん……」
ようやく主──ジタンがわずかにうめき声をあげた。目を覚ましてくれたのかと思い、少女はすこし安堵した。……が。
「ふみゃあ……」
 猫のような声を出して寝返りをうつと、そのまま主はまたすやすやと寝息をたててしまう。
「あ、あの、ジタン……っ」
どうすればいいのかガーネットは途方にくれてしまった。
おろおろと助けを求めるように周りを見るが、もちろん助けてくれる者も、助けてくれる物もない。
そうこうしているうちに、いつのまにかシーツの中からにょっと腕が出てきて、ガーネットの細い腕を掴んだ。
「きゃっ……!」
 驚いて払おうとしたのも束の間、強く腕を引っ張られてあっという間にガーネットは平衡を崩し、寝台の上に倒れた。
「なっ……」
すぐさま体勢を直そうとするが、今度は背中と腰を捕まえられていて、体を起こすことさえ叶わない。
「う〜ん、極楽ごくらく……♪」
「ジタン!」
ガーネットは顔を真赤に染めて抗議した。対するジタンは、聞いていないフリでガーネットを腕の中に閉じ込めて満面の笑みでその抱きごこちを味わっている。
「ジタン、ちょ……っ!放してください!」
やだ、と戯れるようにジタンが答える。相手の胸をつっぱねようと頑張るガーネットの抵抗もなんなく押さえて、ジタンは寝台の上で彼女をすっぽりと抱きこむという極上の体勢をとった。
「は、放してってば!ジタン!」
すでに耳まで真赤に染めた腕の中のガーネットを面白そうに眺めて、ジタンはにやにやと実に意地の悪い笑みを浮かべている。
「さ〜て、どうしよっかな〜?」
さらに戯れるように呟くジタンを、ガーネットはキッと上目遣いに睨んだ。(頬を朱に染めて上目遣いに睨んでくる彼女の姿ははっきりきっぱりと言って愛らしすぎるほどに愛らしいのだが、彼女はまったく気づいていない。)
ジタンはというと、はじめは冗談半分で彼女を抱きこんだのだが、なんだかそうしているうちにだんだんと手を放すのが本気で惜しくなってきた。
  いっそのことこのまま……う〜ん、でもなぁ……嫌がるだろうしなぁ……でもボス、手ぇ出すなとか言わなかったし、この状態でいつまでも抑えられるほどおれも大人じゃないしなぁ……うーん………それにしてもこのコ、顔と中身だけじゃなくて抱きごこちも最高だなオイオイ……
などと野獣的な思考を繰り広げている間に、ふと腕の中の少女が抵抗をやめたのに気がついた。
  なんだ?あきらめたのか?
 怪訝に思って腕の中の少女を見てみると、瞼を伏せ、小さく口を動かして何か唱えていた。
はじめは聞き取れなかったが、耳を澄まして聞いているうちに、それが何であるか分かってジタンの顔は青くなった。
「ちょっと待てっ!その呪文は……!」
「『ミニマム』!!」
途端に視界が煙に撒かれる。それと同時にポンッという音がして、ガーネットを抱いていた腕がなくなった。
あわててガーネットは身を起こす。寝台から降りて乱れた髪と衣服を直した。
その間に、白いシーツの中でなにやらもぞもぞと小さいものが動いている。
しばらくの間それはもぞもぞと少しずつ前進し、ずいぶんと経ってからやっとシーツの海から抜け出すことになる。
やっとのことでひょこっとシーツから顔を出したジタンは、体力を異常に使って疲れきっていた。
『……ここまでやるかぁ……?』
 体と同じく声まで小さくなってしまったのでその呟きはガーネットには聴こえなかった。





 そのころ、トライバル邸の四方を囲っている高い柵に人目を避けるようにしてへばりついている鎧をまとった男の姿があった。
「ぐぬぬぬ……!ここがあの賊の本拠地……!姫様は必ずやこの屋敷に捕らわれているはず。いま助けに参りますぞ姫様!」
 先日のこと。酒場でやけっぱちに飲んでいたとき、一人のネズミ族の女性が彼に話し掛けてきた。
『なにやら忘れたいことでもあるのか?』
 そう言われて、慣れない地に来た疲れがあったのか、いままで大切に守ってきた大事な姫を目の前で見失ってしまったことがあまりにショックだったのか、彼はついつい見ず知らずのその女性に全てを打ち明けた。
 自分はあるやんごとなき家で主の愛娘の護衛をしていたこと。その姫がある日突然家出してしまったこと。そのあとに主から自分に言い渡された命令のこと。そして、この街にて、目の前で賊に姫を連れ去られてしまったこと。
 だが偶然にもその女性は、姫を攫った輩の風体を言うと、心当たりがある、と言った。
『そやつはおそらく、ジタン・トライバルじゃ。尻尾をもった輩なんぞ、そうはいやせんからのう』
『な、知っておるのかそなた!?』
『この街では有名な貴族じゃ。ヘタなことは言わん。姫を取り返すのはやめておけ。やつはそなたの手にはおえん』
『ええい!そんなことはわからんだろう!?とにかく、そやつの居所を教えてくれ!』
 しばらく黙ったあと、女性はまぁ、それもおもしろかろう、と呟いた。そうして、このトライバル邸の場所を教えてくれたのだった。
  いま参りますぞ姫様!!
 自分には、主・ブラネ様から言い遣わされた使命がある。
 ぎん、と目の前を睨むと、彼はへばりついていた壁から素早く離れ、闇に紛れて行動を開始した。
「待っておれ!ジタン・トライバル!!」





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