眠らぬ街
<2>


「なっ……!」
 場にそぐわないほどの陽気な声。その声に不貞の輩たちは慌てて振り返るが、そこには誰の姿も認めることはできなかった。
「どこを見てるんだよ?こっちこっち」
きょろきょろとせわしなく男たちが周りを探すなか、少女はただ一人正確に声のした方……────上を見上げた。



 少女が背にしている壁の上。少女はそこに、人の姿を見た。

 月を背にしているので、顔などはまったく見えない。
 まだ少年と言えるほどの背丈の黒いシルエットに、ゆらゆらと揺れる、まるで猫のような尻尾が見えるのみだ。
  ────だれ……?
 少女はその影をじっと見た。
その視線を感じてか、その人物が目を合わせるように顔をこちらへ向ける。
そして、ふいにそのシルエットが、自分に向けてふっと笑ったような気がした。
「あっ!この!あんなところにいやがった!」
「下りてきやがれ、この卑怯モン!」
 ようやく人影を見つけることができたらしく、不貞の輩たちは二人して壁の上にいる人物へと野次を飛ばす。
「なんかお決まりのパターンで面白みがないけど……まあいいや」
 そんな呟きが、少女の耳には届いた。
その次の瞬間、壁の上にいた人物は軽く壁をけって飛び上がり、体重をまったく感じさせない見事な身のこなしで少女と狼藉者の間に着地した。
「よっ…と」
 少女を庇うようにして降り立ったその背中の向こうで、狼藉者たちは身構えた。その手には、月光を受けて鋭く光る武器が握られている。
「やだなぁ、これだから物騒な奴は……すぐにそういうのを持ち出してくるんだから」
 のんきな感想を述べる少年に、少女は心配そうな表情になる。
そんな少女の心配をよそに、少年はさらにのんきな口調で言った。
「ほら。おまえらが欲しがってるのは、こういうのだろ?」
 少女が見守る中、手に持っていた何かを、少年は男たちに放り投げた。きらりと光りながら弧を描き、それは飛んでいく。
うまくキャッチし、手のひらの中に収まったそれを覗き込んで、男たちはたちまち驚いた表情になった。
「どっかいいところに売り払えば五、六年は楽に暮らせる代物だ。それ持って早く失せな」
 その言葉に、男たちはいかにもでへへへ、と下品な笑い声をあげ、話がわかってるじゃねぇか、と呟いた。
 そして回れ右をしてこちらに背を向けると、上機嫌な足取りで去っていこうとした。
そのとき、


「泥棒だ────!」


 突然少女の目の前で、しっぽをもつ少年は大声で叫んだ。
「なにぃっ!?」
驚いて男たちは振り返るが、その後ろからぞくぞくと叫び声を聞きつけた衛兵たちが集まってくるのが見えた。
「こいつら泥棒だ!宝石を手にここの壁をよじ登って逃げていくのを見たぞ!」

 少年がさらに叫ぶと、なにぃっ!という声が男たちと衛兵たちのどちらからも上がった。
 男たちは逃げようと試みたが、一本道ですでに逃げ場はなかった。飛び掛った衛兵たちにあっさりと押さえつけられ、そうして男たちは縄でぐるぐる巻きの状態にされた。
 オレじゃねぇよ〜!と叫ぶ男たちを、衛兵たちは強引に連行していく。
 少女はそれをあっけにとられて見ているばかりだった。
「怪我はないか?」
 騒ぎが収まったのをみて、少年は少女を振り返り、そう尋ねる。
「え、ええ……」
 そう答えると、そりゃよかった、と少年は言った。
 その姿を、少女はまじまじと見てみる。
なんとも、不思議な少年だった。
 一見貴族でも、下階級の者でもないように見える。
 軽装で、やたらときらびやかで重たい服でもなく、ぼろぼろの、貧しい者たちが着ている服でもない。
もっと不思議なのは、ゆらゆらと揺れている、しっぽ。
 いろんな種族がこの大陸にはいるが、人間の姿で、しっぽをもつという種族は見たことがない。
 まるで猫のようにふさふさなそのしっぽに、ついつい、触りたくなってしまう。
「この街じゃ女の子の一人歩きは危険だぜ。見たとここの街の人間じゃないみたいだけど……宿はどこを取ってるんだ?送ってってやるよ」
「あ……」
 宿を見つけようとして迷った挙句にさっきの不貞の輩たちにからまれた、と白状するのは恥ずかしくて、少女は口篭もる。
その様子を誤解したのか、少年は慌てて言う。
「あ、オレ別に変なことを考えてたわけじゃないぜ?きみみたいなかわいいコを一人にしておくのもったいな……じゃなくて、一人で歩いてるとさっきの奴らみたいなのにまたからまれる可能性があるわけで、べつに宿の部屋に後から忍び込もうなんて考えてないぞ!」
「??何をおっしゃっているの……?」
 わけのわからない言葉を早口でまくしたてられ、少女は困惑した。
はやく言えばそういうことを少年は考えていたわけだが、少女にはその言葉の意味がわかっていなかった。
「いやまぁその……──とにかく!この街は女の子が一人で歩くのは危険だから、送っていくって…………あ、もしかしてまだ宿はとってないとか?」
「……ええ」
「だったら話は早いや!うちに来いよ」
「え?」
「この街の宿屋は待遇がいいとは言えないし、きみみたいな若い娘が一人で泊まるのは、ちょいと心配だし。──どう?」
「───あなたのお家は宿屋なのですか?」
 思わず尋ねた少女に、少年はがっくりとうなだれる。
「いや、ちがうけど……」
「?」
 ではなぜ?と不思議がる少女。
その様子を見て、少年はあ〜もういいや、とぼやいた。そしてその少女の耳元へ、少年はついと唇を寄せ、囁く。



『───追われているんだろう?だったら、宿屋に泊まるのは危険だ。オレが、かくまってやるよ』


「!」
 少女は反射的に身を離し、警戒する顔で少年を凝視した。
「……あなた、何者?」
 その低い声音に少年はいたずらっぽい笑みで肩をすくませてみせた。
「オレの名はジタン。安心しなって、オレはきみの味方だから」
 いぶかしがる少女に、とりあえず、とジタンは呟いて少女の白く細い腕を取った。
「いまは逃げるぞっ!」
「きゃっ!」
 突然走り出した少年に引っ張られて、少女は転びそうになる。しかしその背後から聞き覚えのある、待たんかー!という声と鎧のこすれる音が耳に届き、それが誰のものであるかを判断すると少女はジタンの後について駆け出した。
「待て賊め!姫様を放さんかー!」
 がっちゃがっちゃと鎧の音を響かせ、その男が叫ぶ。
少女は先を行くジタンと同じ速度で走りながらも、後ろを振り返った。
「ひーめーさーまー!」
 男はすごい形相で二人を追いかけてくるが、なにしろあまりスリムとはいえない体型のうえに見るからに重たそうな鎧を装備しているため、若くて身軽な二人にはとうてい追いつけそうもなかった。
「ごめんなさい!スタイナー!」
 そう彼に向かって叫ぶと少女は前に向き直り、全速力で走る。
きれいに敷き詰められた石畳の上を走り、細い路地を抜け、そうして長いこと走り回ってようやく鎧の男の姿が見えなくなったとき、二人は貴族の屋敷らしい豪邸の前にいた。
「大丈夫か?」
 長いこと走り、息を切らしている少女を気遣うようにジタンは声をかけた。
 ええ、大丈夫、と答えながら、彼がまったく息を切らしていないことに気が付く。そして、走っている間、もっと速く走れるのに自分に気を使って速さを合わせてくれていたことにも気が付いていた。
「こっちだ」
 少女の手をぐいと引っ張り、ジタンはその豪邸の門をくぐろうとする。
「え?」
 驚いた少女はとっさに後ずさった。
「いいから。早く」
 大丈夫だから、と言われ、少女はおそるおそるジタンの後へついて門をくぐった。きれいに草の刈られた広い庭を二人は横切って、まっすぐ玄関へと向かう。
「入って」
鍵を取り出し、玄関のドアを開け、少女を屋敷の中へ入れると、自らも扉の内へと入り、そうして内側から扉に鍵をかけた。
がちゃん、と鍵のかけられる音が響くと同時に二人は溜息をついた。
「もう大丈夫だ。疲れたろ?そこのソファですこしくつろぐといい」
 ジタンがそう言って指差した方……玄関のすぐ向こうの広い部屋には、応接用の大きなソファが、向かい合わせで置いてあった。
「なにか飲み物を持ってくるよ。酒は……だめだよな。なにがいい?」
 慣れた調子のジタンに戸惑いながら、お茶を、と言うと、じゃあすわって待ってな、と言い残してジタンは奥の部屋へと消えていった。
  ────ここの屋敷の、使用人なのかしら……?
 平然と自分を屋敷に上げたことからいって、それはおかしいような気がした。
「不思議だらけのひと……」
 首を傾げ、呟いてみる。ほんとうに、わけがわからない。
とりあえず言われたとおりにソファのところへと行き、なかば呆然としながらもその部屋を見回した。
 まず目に入ったのは、三つの壁にそれぞれ飾られている、大きな絵。
 一つは、大きな船が描かれたもの。
 一つは、少女も見たことのある街が描かれているもの。
 そしてもう一つは、少女が見たことのない、眼鏡をかけ、髭などで毛むくじゃらな顔をした男の絵だった。
 他の二つの絵と比べ、その絵だけ異色を放っている。
  ────このお屋敷の主、かしら……?
 高い天上には豪奢なシャンデリアがあり、床には触り心地の良い絨毯が敷かれ、ソファに挟まれたテーブルの上には高価な花瓶に花が生けられている。
 どれも趣味のいい物ばかりで、高価そうなものばかりだった。
「すわって。立ち話もなんだからさ」
 部屋に戻ってきたジタンは、片手には紅茶のポット、もう片方の手にはカップをのせたトレーと、お茶菓子を入れたうつわを器用に腕にのせていた。
 少女は、フードを取るべきかどうか迷った。
 助けられ、こうして屋敷にあげられ丁寧な扱いを受けているというのに、フードで顔を隠したままというのは、失礼にあたるのではないだろうか。
「ああ、べつにどっちでもいいよ。隠しておきたきゃそのままでもいいけど、オレもう、一度月明かりで見ちまったぜ?」
 まるで心を読んだかのような言葉に、少女は驚く。
 見た、というのは、おそらくあのとき。少女が上を見上げ、壁のうえの彼を凝視した時だろう。
あのとき少女からは逆光だったが、ジタンからは月の明かりの中、少女の容貌がはっきりと見えたに違いない。
「そうですか。では……」

 ファサ……という衣のこすれる音とともに、少女はその顔立ちをあらわにする。
あ、と人目を惹く整った顔立ちに、うっすらと染められた頬。
淡いピンク色の、愛らしい唇。
フードのしたからは長くなめらかな黒髪が流れ出し、その透き通るような白い肌をもっと強調させた。
  ────まるで絵画の中から抜け出たようなその姿。
その少女の黒曜石のごとく美しい双眸は、ひたとジタンに向けられている。
「さぁ、話してもらおうかな?」
 ソファに深く腰掛け、足を組んだ姿勢で、ジタンは低く言った。彼の表情は一見笑っているが、まるで空の色のような両の瞳は笑ってはいない。
 なにを、とは問わなかった。





「どうして、城を出てきたんだ?───ガーネット・ティル・アレクサンドロス17世」



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