眠らぬ街
<1>


 ──────眠らない街・トレノ。


 富と貧困、きらびやかさと空虚さが交錯する街。
貴族がきらびやかな生活を送る一方で、深刻な貧しさと飢えに苦しむ生活を送る者がいる街。
 そのトレノはいま、ある話題で持ちきりだった。
 貴族から貧民、大人から子供までがその名をしきりに口にする。ある者は恐れおののいて、またある者は心からの感謝をささげて……。





  ────『また、出たんですってね』
  ────『ええ。今度はブロック家の家宝をまんまといただいていったという噂ですわ』
  ────『ブロック家はやっきになって行方を探しているとか』
  ────『それはそうでしょう。聞くところによるとその宝はブロック家が苦労してどこかの王族をだまし、やっと手にいれたものだということですもの。さぞかしあきらめきれないことでしょうよ』
  ────『まあ、そうでしたの!で、盗人の足取りはつかめたんですの?』
  ────『それが今までと同じく、さっぱりと。露ほどもつかめていないのだそうよ。そして、やはり今までと同じように貧民たちの所へ、どこからか多額の援助が出されている……』
  ────『いったい、正体はどこの誰なのでしょうね。その、【タンタラス】を名乗る者たちは……』

 

 月がやんわりと照らす中、羽根でできた、みやびな扇で口元を隠し、他愛のない噂話に花を咲かせる貴婦人たち。
会員制の静かなカフェでお茶を飲みながら、何時間も噂話を楽しむのが、彼女たちの日常だ。
「そういえば、今日はもう一つおもしろい噂を耳にいたしましたの」
 ひとしきり話し終え、飲み終えた紅茶のカップを静かに皿に置くと、一人の婦人が思い出したように言った。
 そのすぐ側を、太った中年の貴族が通り過ぎる。このカフェは静かでおしゃれな雰囲気がとても評判なのだが、ただひとつ、道のすぐ横にあるため、通行人がひっきりなしに側を通り過ぎるという、うっとうしい点があった。
「まあ、どんな噂ですの?」
 すでにそんなことには慣れてしまっている婦人たちは、構わずに尋ねた。
「すこし、大きな声では……。もっと、寄ってくださる?」
 もったいぶったその言葉に、他の婦人たちは胸を躍らせてその婦人の方へと身を乗り出す。
婦人たちは単なる暇つぶしにこうした噂話に花を咲かせるのだが、その噂は面白ければ面白いほどいい。たとえ根も葉もない嘘話であっても、要は楽しめればそれでいいのだ。
 扇で隠していた口元をすこしだけ覗かせ、婦人は小声で身を乗り出した婦人たちに告げる。



『─────アレクサンドリアの王女が、家出をなさったそうよ』



 んまあ!とそれぞれに驚き、興味深い視線を送りあう婦人たちのすぐ側を、白いフードをまぶかにかぶった、まだ少年少女といえる背丈の人間が通り過ぎる。
 婦人たちはそれに気づかず、いま聞かされたばかりのかっこうの暇つぶしのネタに食いついていく。さらに話に夢中になり、誰一人としてその者に注意を払うことはなかった。
 その白いフードをかぶった者は早足で通りを抜け、今晩泊まるべき宿を探していた。
急ぐ足をときたま止め、あたりを見回すその動作やちょっとした仕草から、その白いフードをかぶっているのは少女だということがわかる。
「迷ってしまったわ。どうしましょう……」
 ごく小さく呟く。その声は愛らしく、鳥のさえずりのようだった。

身のこなしは優雅で、その雰囲気は、トレノの荒んだ庶民階級でもお金と道楽にしか興味を示さない貴族階級でもないとひと目で分かるほどに清らかだ。
 ……その清らかさを珍しがってか、先ほどからちらちらと彼女に注がれる視線があった。
  まだ、いるわ……。
 少女は振り返らないまま、先ほど、この街に入った時からずっとひしひしと感じている視線と気配に注意を払った。
早く宿を見つけそこへ逃げ込められればいいのだが、いまだに宿は見つからずにいる。
とりあえず、立ち止まっているのは危険だと思い、また早足で歩を進める。
「どうしましょう……」
 なるべく人の多い道を選んで歩いてきたが、もしかしたら宿は人気のない路地にあるのかもしれない。
 考え込んだ少女に、ふと影が降りてきた。
疑問に思い顔を少しあげると、そこにはみすぼらしい、ひょろりとした男が少女の前に立ちはだかっていた。
「お嬢ちゃん、一人でこんなとこふらついちゃあ危ないよ〜」
でへ、でへへと今にも笑い出しそうなその男に、少女はすこしの不快感を覚えた。
 しかし、どうやらいつの間にか人気のない道へと入り込んでしまったらしく、あたりを見回しても誰もいない。
少女は考え事をしながら人気のない道へ入ってきてしまったことを悔いた。
「わたくしは急いでいるのです。そこを通してください」
「おおっと、そいつぁだめだ。ここは一応オレ様の縄張りなんでね。ここを通るにはちょいと通行料がいるんだ。なぁ、エルタ?」
おう、という声が背後から聞こえ、少女が驚いて振り返ると、そこにも、みすぼらしい、ひょろりとした背の高い男がのっそりと立っていた。
「しかも、ここの通行料はそんじょそこらの額じゃねぇぜ?」
「お嬢ちゃんにはちと無理がありそうだな」
ねめつけるようにしてじろじろと見回す男の視線から逃れたくて、少女は自然と壁際へと後じさる。
「払えないんだったら、そうだな。その体で払ってもらおうかな?このトレノにゃもの好きな貴族もたくさんいるからな。売れば高値で買ってくれるだろうよ」
その恐ろしい内容の言葉に、思わず少女はおののく。だが、彼らは少女の目の前でさらに恐ろしい言葉を口にしだした。
「へぇ、いい案だな、エルタ。でもよう、その前に……」
「ああ。恵まれないおれたちにも、ちょっとくらいはいい目みさせてもらおうぜ……」
 一人の男のひょろひょろした手が、少女の真っ白なフードにのばされる。
「いやっ!」
とっさにその手を払おうとするが、逆に少女の白く細い手は狼藉者に捕らえられてしまった。
「ほっそい腕だなあ、おい」
「放しなさい!」
 少女はなおも叫び、抵抗する。が。
「ちっ!おい。こいつ押さえてろ」
暴れる少女にいらだってか、男はもう一人にそういい付けた。
へいへい。でも、オレのぶんも残しておいてくれよう、と言いながら、もう一人の男が少女を捕らえようとする。
「いやぁっ!」
 少女が鋭く叫んだその時だった。




「女の子はやさしく扱わなきゃモテないぜ、お兄さん方」


     
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