雪月架


────おれは、あいつに何もしてやれない。
おれには財や地位もない。あるのは、あのたおやかな体を抱きしめて、守ってやれるこの両腕だけ。


────おれは、あいつのそばにいても良いのだろうか?





 アレクサンドリアの二月は、とても寒い。

高原地帯にあるため、三日と空けず雪が降る。真っ白な雪が大地を覆い、屋根を覆い、そして湖上のアレクサンドリア城を覆う。
すべてのものが白く覆い隠されてしまうので、アレクサンドリアでは、二月は白月とも呼ばれている。
 新米のプルート隊隊員のライアンはその日、アレクサンドリア城の外の夜警を言い渡されていた。
青い月が赤い月の後ろに隠れて光輪を描いている今夜は、雪こそ降ってはいないが、空気がひどく冷えていて寒い。グローブをしていてもかじかみそうになる手を何度もこすりながら、ライアンは城の外の見回りを続ける。
こういう日の夜警ははっきり言ってつらい。プルート隊の先輩などは、新入りが入ってきたのをいいことにこれ幸いとばかりに夜警の仕事を押し付けてくる。
だが真面目な性格のライアンはこれも経験とばかりに厭な顔ひとつせずに仕事を引き受けてしまう。あまりに真面目で素直に仕事を引き受けるものだから、押し付けていた方もだんだんと罪悪感を感じるようになり、最近ではそういうこともなくなってきたが。
ライアンは生真面目に見回りを続ける。
吐き出す息は白い。
 それが城の側面の方へと回り込んだとき、ふと足を止めた。
「なんだ……? あれ……」
視界にちらちらと光るものが見えて、ライアンは不思議に思ってその光を凝視する。
あれは、城の三階か四階くらいのところだ。
 あのあたりには何の部屋があったかなと思い巡らせて、ライアンはそのままその光を見つめて立ち止まっていた。
「こら、なにをサボっておる」
「ひぃっ!」
突然背後から声をかけられ、ライアンは驚いてはねあがった。
「ス、スタイナー隊長!」
振り向くと、そこにはプルート隊の隊長で女王陛下の護衛騎士でもあるスタイナーが、いつもの鎧姿ででんと仁王立ちしていた。
「い、いや、サボっていたわけじゃあないんです。あそこに妙な灯が見えて、なんだろうと思って……」
 ああ、とその問題の灯を見上げてスタイナーは呟いた。どうやら心当たりがあるらしかった。
「あれは……気にせんでもよい」
「隊長、あの灯が何か知っているんですか?」
「…………待っておられるのだ」
「は?」
思ってもみない答えが返ってきたので、ライアンはぽかんとしてスタイナーを見上げた。
「あの馬鹿……さっさと戻ってくれば良いものを……」
「?」
ライアンにはさっぱり意味がわからない。しかしそう言ったスタイナーの顔が恐かったので、それは尋ねないことにした。
「ここはもういいぞ。わしが警護する」
「は、はいっ!」
スタイナーの威圧感にライアンはすぐに敬礼するとその場を去った。
走り去っていくライアンの後ろ姿を見送り、スタイナーは盛大な溜息をついた。
「馬鹿者が……。姫様のことを、ちっとも考えとらん」
 それはライアンに向けて呟いた言葉ではない。スタイナーは上を見上げ、依然としてちろちろと灯が燃えているのを見て
「姫様……」
心配そうに呟く。その言葉と、思いは、白い息と共に冷たい空気のなかへと溶けていった。






 夜着の上に厚手の上着とストール、そしてランタン。
ガーネットは寒空の中、たったそれだけで、テラスへと出ていた。
空を見上げれば、ガイアの青い月がテラの赤い月の後ろに隠れている。青く縁取られた赤い月が今宵ははっきりと見えて、手を伸ばせば届くように感じられる。
空気は身に突き刺さるように冷たい。体の芯から震えがくるが、ガーネットは部屋の中へは入らなかった。
火を灯したランタンを持ち、寒さと不安と戦いながら、待っていた。
決して自分からは迎えにいけない、その人を。



 ────『少し、旅に出てくる。』
三日前の朝のことだった。
ガーネットが目覚めると、ジタンはもうすでに装備を整えていて、寝台の端に腰掛けてガーネットを静かに見つめていた。
その様子に驚いて、どうしたの、と尋ねた。彼は二三度何かを言おうとして口を開いたり閉じたりして、
『少し、旅に出てくる』
そうガーネットに告げた。
え、とガーネットは目を丸くして彼を見つめた。
旅に出てくるよ、ともう一度彼は律儀に言った。
『どのくらいで帰ってくるかは、まだわからない』
『どの……あたりに行くの?』
 一瞬彼が決まり悪そうな表情になったのを、ガーネットは見逃さなかった。
『……そう、遠くはないよ。大丈夫』
  ────どうしてはっきり言ってくれないの?
 そう言えなくて、代わりに、そうなの、と呟いて視線を落とした。
『夜までにはだいぶ歩いておきたいから、もう、行くよ』
『今すぐ?』
『……ああ』
『…………』
じゃあ、行ってくる、と言ってジタンは立ち上がり、窓の方へと歩み寄った。
ガーネットは身を起こし、去ろうとする彼の背中を見つめ、その背に迷いと躊躇の色を感じとって思わず呼び止めた。
『ん?』
『あ……』
『どうした?』
 心がすごく言いたがっている言葉がある。でも、ガーネットはこぼれそうになるその言葉を必死で抑えた。
『……気を、つけてね』
 それだけを口に出す。ジタンは引き返して彼女のそばに来ると、そっと唇をかすめた。
『行ってくる』
そうして、ジタンは行ってしまった。
ジタンはここ数日間、ずっと悩んでいるようだった。
気づかれまいと彼はしていたけれど、ガーネットにはすぐにわかった。ジタンがガーネットの状態をいつもすぐに見抜いてしまうように、ガーネットにも彼のことならすぐにわかる。
何に悩んでいるのかも、だいたい見当はついていた。だから、あえて何も言わなかったのだけれど。
ガーネットは震える体を抱きしめた。今は、寒いよりも、こわい。


  ────彼は、二度とここへは帰ってきてくれないかもしれない………

言いたくて、でも言えなかったのだ。
────『かえってきて』と。

白い息がまた一つ、宙に溶けていく。






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空気が先ほどよりも冷え込んできている。
これはもうすぐ降りだすな、と頭のどこかで思いながら、ジタンは焚き火に枝をくべた。
 焚き火の炎がもうもうと燃え上がる。
その炎に照らし出された夜の木々たちはしんと静まりかえっている。
太い木の根がそのまま道になってしまったかのような、ここピナックルロックスはじつに複雑な地形をしている。自然豊かで静かで、落ち着く場所ではあるが。
ジタンは城を出て三日、ずっとあちこちを彷徨っている。迷っているわけではない。単に、目的地がないだけだ。静かで落ち着いて考えることができる場所ならどこでもいい。
気の向くままに歩いてきたのだが、ここはまさに静かで落ち着けて、うってつけの場所だ。
 揺れる炎を見つめながら、ジタンはそっと溜息をついた。
旅に出る理由を、結局ガーネットには告げずに来た。もっとも、勘のいい彼女のことだから、とっくに見抜いているだろうけれど。

────きっかけは、すごく些細なことだった。

 ある日、ガーネットがいつものように早朝会議へと出かけた後、ちょっと散歩でもするか、と思いジタンは部屋を出た。
そして城の周りをてきとうにぶらぶらと歩いていたら、突然誰かの会話が耳に飛び込んできた。
『……まったく、女王も困ったものだな』
『本当に。あんな男を迎え入れて、なんとするのやら』
『あの戦いの中女王を守ってきたからといっても、今はもう戦いは終わっている。すこぶる平和な時代だ。英雄なんて、必要ないのではないかね』
『たしかに。今この国に必要なのは、復興によって費やされた国庫を少しでも潤してくれる財力を持った花婿だ。あんな何の身分も持たない、得体の知れない男は、何の利益ももたらさない』
『まだ若い女王のことだ。おおかた守られてそれで夢中になりでもしたのだろう。まったくもって迷惑なことだな』


 自分が一部の人間に快く思われていないことは充分知っていた。
このくらいの言葉で打ちのめされるほど弱くはないし、ガーネットへの想いも半端なものではない。
 ……けれど、その言葉は確実にジタンの心に波紋をつくった。
いままでもジタンの存在をよく思わない連中の心無い言葉を何度も聞いていたが、彼らはジタンへの非難をしても、女王に対しての非難は決して口には出さなかったのだ。
自分を非難するのはいい。けれど、このままでは確実にガーネットへの非難が大きくなってしまう。
では、どうすればいいのか。ジタンは悩んだ。
ガーネットと文字通り劇的な再会をしてからひと月、ジタンは人間の策謀と権力欲が渦巻く城を、窮屈に感じ出していた。
ガーネットと二人きりのとき、もしくはベアトリクスやスタイナーなど、二人の仲に協力的な連中といるときはそんな窮屈さなんて全く感じない。(とくにガーネットと二人で過ごす時なんてもう最高だ!)
ガーネットから離れることはできない。そんなつもりは毛頭ない。
「彼女のためになにができるか」をゆっくり考えるため、ジタンは旅に出た。
彼女のために自分には何ができるか────。
その答えをいま、探している。



              
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