BLISS




 夜着に着替え、寝台にあがっても、ガーネットは眠る気になれなかった。
しかたなく寝台の端に腰掛け、昨晩読みかけだった本を小さな明かりの下で目を通すが、まったく文字が頭に入ってこない。
 ジタンは、どうしているのかしら……。
つい考えてしまうのは、彼に関することばかり。
「……疲れているのだもの。もうとっくに休んでいるわよね」
溜息を吐き、ガーネットは読みかけの本を閉じた。
そして寝台からそっと降りると、肩にショールを羽織った。
 ……すこし外の空気を吸えば、気分を紛らわすことができるかもしれない。
そう思って、ガーネットはそっと扉に近寄って、少しずつゆっくりと扉を開けた。
少し開いた隙間から廊下を覗いてみると、スタイナーが剣に手をかけて、立ったままいびきをかいて眠っているのが見えた。

 それを確認するとそのまま扉をゆっくりと開け、ガーネットはスタイナーを起こさないよう、用心深く扉からすべり出る。
 ごめんなさいね、スタイナー。
心の中で呟きながら、ガーネットは小走りで走り抜ける。
その後もどうにか見張りの兵士達の目を盗んで、ガーネットは城の外にある、薔薇園へと足を運んだ。
その薔薇園には、以前は母が世話をし、大切に育てていた薔薇が咲き誇っている。母の様子が急変してからは、ほとんどガーネットがその世話をしていたものだ。
 アーチをくぐり、足を踏み入れると濃厚な薔薇の香りがガーネットを迎えた。
薔薇たちは冷たい月光に照らされ、時折り吹く風に身を躍らせながら夜を過ごしていた。
 ガーネットは一つの花壇の段に腰掛け、目の前で揺れる薔薇たちを見つめた。




 ……そうして、どれくらいたったのか分からない。薔薇を見つめたまま、ガーネットは不意に人の気配を感じた。
「綺麗だな」
 驚いて顔をあげ、そこにいる人物を見た。
足音を決してたてない、軽い身のこなしで薔薇の花たちの向こうから姿を現したのは、やはり、彼。
 ガーネットは立ち上がり、彼のそばへ行こうとしたが、足元の花壇がそれを邪魔した。
「こんばんは」
 驚かせたかな、と軽く微笑んで彼はこちらへ歩いてくる。
「ジタン……」
呟くようにその名を呼んで、どうしてここに?と目で問う。
彼はゆっくりとこちらの方へ近づきながら
「窓から見えたからさ、こうして追いかけてきた。……眠れないのか?」
「ええ。ジタンも……まだ、休んでいなかったのね」
「ああ、なんとなく、目がさえて……」
 ジタンは花壇を挟んでガーネットの前で立ち止まり、そうして……ふたりは沈黙した。
逢えたなら、聞きたかったこと、言いたかったことがたくさんあったはずなのに、なにも言葉が出てこない。
頭のなかはぐしゃぐしゃで、いうべき言葉も見つからなかった。
 ……ふたりの間の距離は、小さな花壇ひとつぶん。
たったそれだけなのに、長い間離れていた二人の心の距離みたいで、またガーネットは胸に鋭い痛みを感じた。
「まだ……信じられない?」
「え?」
 問い返すと同時に、冷たい夜風が吹いて、ガーネットの髪を乱した。
ふたりの間にある花壇の薔薇も、風に揺れている。
「オレがここにいること、まだ信じられない?」
「…………。」

 ───触れることができたなら。肌で感じることができたなら。

この不安は消えるのだろうか。……あんなに強く抱きしめあったというのに、まだ、足りないと心のどこかが訴えているというのか。
  ……けれど、ふたりの間には、花壇がひとつ。
『手をのばせば届くけれど、もし差し伸べて、つっぱねられてしまったら?』
 昼間、つないだ手を放してしまった彼を思い出して、またずきりと胸に痛みがはしった。
  彼にとって、わたしはいったい何なのだろう……
 考えに沈んだガーネットのまえに不意に大きな手が差し出されたのは、風がまたガーネットの髪と、薔薇たちを乱したとき。
 出逢ったころよりもたくましくなったその腕に、ガーネットは目を見開いて凝視した。




 ────触れるか触れないかの距離で差しのべられた、彼の手。




 彼は、微笑んでいた。出逢った頃のままの笑顔で。
 もう、二度と見ることができないかと思ったこともあった笑顔で。


 彼はここに在ると、ともに在るのだと、そう心から感じたいと思った。
 彼にとっての自分など、もう頭には残っていなかった。
 ただ、彼の存在を感じたい、とそう強く願った。


 差し出された手を取りそして薔薇の花たちを越える。同時に彼に引き寄せられるままにその広い胸へと飛びこんだ。

夢中で背中にまわした腕に力を込め、彼のぬくもりを、感触を、鼓動を、その存在を刻み込もうとする。同時に背中に回された力強い手が、その温もりを、彼の存在を伝える。
 ただいま、と彼が耳元で囁く。
その声に、何故だか涙がこぼれて頬をつたった。
その涙は彼によって拭い取られ、おかえりなさい、と言おうとした唇は、彼によって塞がれた。
 そのまま、深く求められる─────────────






 その夜、ときおり強く吹き上げる風に薔薇たちはその身を躍らせていた。
 まるで、ふたりの再開を祝福するかのように……。






後日、彼はガーネットの長く美しい髪を梳きながら、彼女にそっと打ち明けた。


 自分も、本当はまるで子供のようにつないだ手を放すことができなかったこと、こうして触れ合うまで、夢じゃないと信じられなかったのは自分のほうだった、ということを。


 それを聞いた彼女は、彼と再会して初めて、澄んだ笑い声をあげたという──。


 Bliss。




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