「人の屋敷で覗き見をするのはどうかと思うよ? マーカスくん──いや、ジタンくんと呼ぶべきかな?」
コウジュ・クシュハルトは初めて会ったときと同じ、ふわりと人好きのする笑顔を浮かべてこちらを見ていた。
「コウジュ……」
彼が現れたことより正体を看破されたことより何より、ジタンは先ほど見た光景にまだ動揺していた。
「……どういうことだ……?」
呆然と尋ねる。
「見てしまったんだね?」
彼はさして驚きもせず、表情を変えることもなく事務的に問うた。
呆然としながらも、ジタンはうなずく。どうなっているのかわからない。
「なんで……っ」
幹から体を離し、飛び降りる。三階ほどの高さがあったのだが、ジタンは鮮やかに着地する。いや、それよりも
「どういうことだよ!」
ジタンはコウジュに詰め寄った。そのまま胸倉を掴み上げてしまいそうな勢いでコウジュに叫んだ。
「なんで人形なんだよ!?」
人形だった。生きた人ではなく、人形だったのだ。
イララ・クシュハルトが薄闇のなか愛しそうにその腕に抱きしめていたのは、人の大きさをした人形だった。遠目から蝋燭の光で見たジタンでさえ、はっきりと分かった。
初めてコウジュの表情が変化した。ふっと翳りをおび、笑みは消え、眉根を寄せて視線を落とす。
「母上は……ディアナ・クシュハルトは、去年死亡した。──……アレクサンドリアが襲撃されたときに」
ジタンは目を見開いた。
あのとき!
「父上を迎えに来ていたんだ───……父上は、母上が迎えに行ったことを知らず、入れ違いで、すでにトレノへと帰ってくる途中だった……」
最愛の妻を失ったクシュハルトは、泣き叫んだ。
どうして迎えにきたんだ!
どうしてわたしはディアナを待ってやれなかったんだ!
どうして、守ってやれなかったんだ……!
どうして────…………!!
「三日三晩眠りもせず、食事もとらず泣き叫び、見かねた使用人が薬師を呼び、薬で強引に眠らせた。そして、次に起きたときには───」
『コウジュ、ディアナはまだ眠っているのか?』
その場に居合わせた者全員が目を見張った。寝惚けているのだと、皆が思った。
「けれど、違った。その日から、父上にとって母上は、病気でずっと眠ったまま目を覚ましていない状態なのだそうだ」
最愛の妻を失って記憶を歪めた痛ましい姿に使用人たちは涙を流し、本人が思い出さないよう、不信に思わないようベッドに人の大きさをした人形を寝かせた。
「いまの父上にとっては、あの人形が『ディアナ』だ。父上には、そう見えるらしい」
「な……っんだよそれ……!」
異常だ。狂気だ。失った妻の代わりに、人形を妻だと思い込むだなんて!
「おまえ、本当のことを教えてやらないのかよ!そんなの、おかしいだろ!?だって……本当はとっくに死んでるんだろう!?」
「…………」
コウジュは何も言わない。黙って、瞼を伏せた。
「そんなおかしい奴が、本気でアレクサンドリアを狙ってるのか……?ガーネットを、狙ってるって言うのか!?」
「────……その父上から、命令を受けている」
「なに?」
ジタンは思わず身構えた。コウジュをとりまく雰囲気が、がらりと変わったせいだ。
人好きのする温和な雰囲気が、いきなり好戦的なものへと変化した。
「!」
コウジュが先に動く。
キィンッ……!
鋭い音が暗闇の庭に響く。
「くっ……!」
コウジュの振り下ろした剣を礼装の下に隠し持っていたダガーで受け止め、ジタンはどうにかこらえた。
なんて力だ……!
スタイナーやベアトリクスの剣と同じくらい、重い。
やっぱりこいつ、召喚士なんかじゃねぇっ!
召喚士も魔道師のうちのひとつだ。魔道師はこれほどに剣を扱うことができないものだ。
コウジュはこれだけの剣の使い手である。召喚士──ガーネットの幼馴染ではないと、いまはっきりとジタンは理解した。
ジタンとコウジュは、真正面から睨みあう。受け止めるだけで精一杯のジタンだが、コウジュは余裕の笑みすら浮かべている。その笑みで、先ほどの続きを告げる。
「命令は二つ。一つは、ガーネット女王をたぶらかすこと」
「なっ……!」
キンッ!
カッとなってジタンはダガーで剣を払い、間合いを詰めた。
しかし、コウジュの方が一枚上手らしく振り下ろしたダガーはすぐに剣で受け止められる。
再び、にらみ合う形になった。
「もう一つの命令は──もしも縁談が破談となった場合に、女王を人知れず消すこと」
「なんだと!?」
「そして、女王は今日の会談で縁談を断った。つまり、僕は女王を消さなければならない」
「させるかっ!!」
激昂したジタンが再び切りかかろうとしたそのときだった。
────細い女の悲鳴が聴こえた。
「!」
ジタンはすぐさま反応した。
聞き間違えるわけがない。今の声は……!
「ガーネット!」
「!?」
かまわず剣を振り払い、ジタンは駆け出した。
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