狂爛の宴
<7>





「人の屋敷で覗き見をするのはどうかと思うよ? マーカスくん──いや、ジタンくんと呼ぶべきかな?」



 コウジュ・クシュハルトは初めて会ったときと同じ、ふわりと人好きのする笑顔を浮かべてこちらを見ていた。
「コウジュ……」
 彼が現れたことより正体を看破されたことより何より、ジタンは先ほど見た光景にまだ動揺していた。
「……どういうことだ……?」
呆然と尋ねる。
「見てしまったんだね?」
 彼はさして驚きもせず、表情を変えることもなく事務的に問うた。
呆然としながらも、ジタンはうなずく。どうなっているのかわからない。
「なんで……っ」
幹から体を離し、飛び降りる。三階ほどの高さがあったのだが、ジタンは鮮やかに着地する。いや、それよりも
「どういうことだよ!」
ジタンはコウジュに詰め寄った。そのまま胸倉を掴み上げてしまいそうな勢いでコウジュに叫んだ。
「なんで人形なんだよ!?」
 人形だった。生きた人ではなく、人形だったのだ。
イララ・クシュハルトが薄闇のなか愛しそうにその腕に抱きしめていたのは、人の大きさをした人形だった。遠目から蝋燭の光で見たジタンでさえ、はっきりと分かった。
 初めてコウジュの表情が変化した。ふっと翳りをおび、笑みは消え、眉根を寄せて視線を落とす。
「母上は……ディアナ・クシュハルトは、去年死亡した。──……アレクサンドリアが襲撃されたときに」
 ジタンは目を見開いた。
  あのとき!
「父上を迎えに来ていたんだ───……父上は、母上が迎えに行ったことを知らず、入れ違いで、すでにトレノへと帰ってくる途中だった……」
 最愛の妻を失ったクシュハルトは、泣き叫んだ。
  どうして迎えにきたんだ!
  どうしてわたしはディアナを待ってやれなかったんだ!
  どうして、守ってやれなかったんだ……!
  どうして────…………!!
「三日三晩眠りもせず、食事もとらず泣き叫び、見かねた使用人が薬師を呼び、薬で強引に眠らせた。そして、次に起きたときには───」
『コウジュ、ディアナはまだ眠っているのか?』
 その場に居合わせた者全員が目を見張った。寝惚けているのだと、皆が思った。
「けれど、違った。その日から、父上にとって母上は、病気でずっと眠ったまま目を覚ましていない状態なのだそうだ」
 最愛の妻を失って記憶を歪めた痛ましい姿に使用人たちは涙を流し、本人が思い出さないよう、不信に思わないようベッドに人の大きさをした人形を寝かせた。
「いまの父上にとっては、あの人形が『ディアナ』だ。父上には、そう見えるらしい」
「な……っんだよそれ……!」
 異常だ。狂気だ。失った妻の代わりに、人形を妻だと思い込むだなんて!
「おまえ、本当のことを教えてやらないのかよ!そんなの、おかしいだろ!?だって……本当はとっくに死んでるんだろう!?」
「…………」
 コウジュは何も言わない。黙って、瞼を伏せた。
「そんなおかしい奴が、本気でアレクサンドリアを狙ってるのか……?ガーネットを、狙ってるって言うのか!?」


「────……その父上から、命令を受けている」


「なに?」
 ジタンは思わず身構えた。コウジュをとりまく雰囲気が、がらりと変わったせいだ。
人好きのする温和な雰囲気が、いきなり好戦的なものへと変化した。
「!」
 コウジュが先に動く。

 キィンッ……!

 鋭い音が暗闇の庭に響く。
「くっ……!」
 コウジュの振り下ろした剣を礼装の下に隠し持っていたダガーで受け止め、ジタンはどうにかこらえた。
なんて力だ……!
 スタイナーやベアトリクスの剣と同じくらい、重い。
  やっぱりこいつ、召喚士なんかじゃねぇっ!
 召喚士も魔道師のうちのひとつだ。魔道師はこれほどに剣を扱うことができないものだ。
コウジュはこれだけの剣の使い手である。召喚士──ガーネットの幼馴染ではないと、いまはっきりとジタンは理解した。
ジタンとコウジュは、真正面から睨みあう。受け止めるだけで精一杯のジタンだが、コウジュは余裕の笑みすら浮かべている。その笑みで、先ほどの続きを告げる。
「命令は二つ。一つは、ガーネット女王をたぶらかすこと」
「なっ……!」
 キンッ!
 カッとなってジタンはダガーで剣を払い、間合いを詰めた。
 しかし、コウジュの方が一枚上手らしく振り下ろしたダガーはすぐに剣で受け止められる。
 再び、にらみ合う形になった。
「もう一つの命令は──もしも縁談が破談となった場合に、女王を人知れず消すこと」
「なんだと!?」
「そして、女王は今日の会談で縁談を断った。つまり、僕は女王を消さなければならない」
「させるかっ!!」
 激昂したジタンが再び切りかかろうとしたそのときだった。


 ────細い女の悲鳴が聴こえた。


「!」
 ジタンはすぐさま反応した。
聞き間違えるわけがない。今の声は……!
「ガーネット!」
「!?」
かまわず剣を振り払い、ジタンは駆け出した。






「くっ……!」
獣が突然牙を剥くようにいきなりやいばを振りかざし襲い掛かってきた輩たちを相手に、ベアトリクスは懸命に体術で応戦していた。
  油断した……!
 ガーネットとベアトリクスは、今宵も大広間で行われる宴に出席していた。
ところが、広間に入ったものの、肝心のイララ・クシュハルト氏がいっこうに姿を見せない。貴族たちがいぶかしんでざわつき始めた頃、突然広間にどう見ても街のごろつきにしか見えない男たちが押し入ってきた。それが他の貴族には全く目もくれず女王の方へと襲い掛かってきたものだからさしものベアトリクスも動揺した。
そのときいつものように女王の護衛にはついていたものの、宴の席では武器の所持を断られて、セイブザクィーンは装備していなかった。
ベアトリクスもまさかこんなにも人目の多いところで相手が仕掛けてくるとは思いもよらなかったのだ。とんだ誤算だ。
ガーネットを背に庇いながら、ベアトリクスは冷や汗を流した。
相手は八人。いかに大陸最強と謳われたベアトリクスでも、刃を持った相手に体術だけではガーネットを守りぬけるかどうか。
 一人目の振り下ろした刃をかわし、横から斬りつけてくる男の腹に鮮やかに蹴りを入れる。男は倒れてうめき声をあげる。手加減はしなかった。すれば、ガーネットの身も自分も危うい。
続いて襲い掛かっていた男の顔をそのまま回し蹴りし昏倒させる。だが、四人目を相手にしている時に、異変が起きた。
三人の男がいっせいにベアトリクスに襲いかかってきた。次々と振り下ろされる刃を危ういところで避ける。そのとき、背後で細い悲鳴がした。
「! ガーネットさま!!」
思わず背後を振り返る。一人の男が、ガーネットに向かって突進していた。
お助けせねば!と身を翻す途中で、ざくり、といやな音を聴いた。肩に鋭い痛みが走る。
「く……!」
よろめきそうになる体を持ち直し、すぐそばに倒れていた男の剣を奪って、斬りかかって来る男たちを一閃した。
「ガーネットさま!!」
間に合わない!




 ガーネットはぎゅっと目を閉じた。きたるべき衝撃に覚悟をして、それでも自然と腕は頭を庇う。無意識のうちに、彼の名を叫んでいた。




 悲鳴を聞きつけ広間に入ったジタンは、真っ先にごろつきふうの男がいままさに黒髪の少女に向けて刃を振り下ろさんとしている光景を目にした。
「ガーネット!!」
  ────だめだ!
 ジタンのいるところからでは、遠い。この距離では、ダガーを投げても届かない。駆け寄っているうちに刃は彼女の身につきたてられてしまう。
それでも、猛然と体は彼女を救うべく駆け出していた。
 彼女が自分を呼ぶ声が届いた。
 彼女に向けて刃が振り下ろされる。ジタンはたまらず叫んだ。
「────ガーネット!!」





「出でよっ『ラムウ』!!」




その声が響くと同時に突然視界が真っ白に変わった。その白く輝く中心から一人の神々しい老人が出現する。老人が少女に刃をかざしている男に向けて杖を振り下ろす。
とたん、すさまじい叫び声を男が上げた。
激しいプラズマを放つ一筋の雷が男の頭を直撃した。男の体は不自然にビクンと波打ち、のたうちまわった。そしてすぐに意識を手放した。
光がじょじょに収まっていく。それとともに、白髭の老人もその姿を薄めていった。
「ガーネット!」
男のすぐそばに座り込んで呆然とする彼女に、ジタンは駆け寄った。
「ジタン……」
「ガーネット、大丈夫か?!どっかケガは!?」
その身にケガがないことを確かめて、ジタンは深く安堵した。まだ呆然とする彼女を腕に抱きしめて心の底から、よかった……、と呟いた。
 第三者の声が割り込んできたのは、そのときだった。
「セーラ、右手を出して」
 二人のそばに片膝をついて、コウジュがガーネットの右手を取る。
ジタンはムッとしてコウジュを睨んだが、ガーネットの右手の甲に赤く傷がはしっているのと、コウジュが目を閉じて詠唱しだした呪文を聞いて、何か言うのをやめた。
コウジュがケアルで彼女の傷を癒す。
「他にケガはないね?」
 微笑みながら問う彼に、ガーネットはこくんとうなずいた。
「でも、わたしよりもベアトリクスを……」
ご心配にはおよびません、と後ろの方でベアトリクスが答えた。どうやら自分で魔法を使って癒したらしく、いまは衣服が切られてすこし血がついているだけで先ほど負った肩のケガはすっかりとなくなっていた。
だがジタンはまったく別のことに気を取られていて、それどころではない。
彼の目は、ただ一点。ガーネットの手を取ったままの青年の手に向けられている。
 手を取ったまま治療がすんでも放さないコウジュを彼女から引き離したい衝動に駆られて、ジタンはそのままそれを実行した。
 すなわち。
「きゃっ」
 ガーネットの手をコウジュの手から奪い取って、そして自分のものだと言わんばかりにガーネットを腕の中に閉じ込めた。
「ジタン!」
ガーネットが顔を真赤にして抗議する。彼女からすれば、人前────コウジュやベアトリクスをはじめ、宴に集まっていたたくさんのトレノの貴族たちが皆注目している前────で突然こんなことをされれば、いかに相手がジタンといえど抗議したくなるのも当然だろう。
けれど、ジタンはそんな貴族連中などはなから目に入っていない様子で、まっすぐにコウジュを威嚇していた。
そんなジタンにコウジュは苦笑する。
「あのなぁ、ここではっきりと言っておくぞ!」
スゥっとジタンは息を溜め込んだ。そして、広間中に轟くほどの声で言い渡した。


「おまえがガーネットの幼馴染だろうがなんだろうが関係ねぇ!おまえにはガーネットに触れることはおろか、髪の毛一本わたさねぇからな!!」


 ……それを聞いた広間中は水を打ったようにシーンとなった。
「…………」
コウジュも何も言わない。いや、言えない。
「ちょっ……ジタン!」
唯一ガーネットだけが顔を真赤に染めて抗議していたが、彼の胸に顔を押し付けられて、その声は小さい。
 ジタンはひたとコウジュを見つめている。
 先ほど言った言葉は冗談でも威嚇でもなんでもない。本心だ。本気で、ジタンはそう思っている。髪の毛一本でも、渡さないと。
 心が狭い、と言われるかもしれないが、どうしようもない。これが本心なのだから。
召喚獣『ラムウ』を召喚してみせたことや、ガーネットをセーラと呼んだことから、どうやらコウジュは本当に彼女が生き別れた幼馴染らしい。(召喚士がどうしてあそこまで剣を振るえるのかはなはだ疑問ではあるが、まぁそれはこのさい置いておく事にしよう)
その彼は、ガーネットを殺せと命令されていたくせに、その彼女を逆に助けた。
あのときコウジュが『召喚』しなければ、ガーネットは確実に殺されていただろう。だが、実際は、彼女を助けた。
理由は簡単だ。ジタンにはわかる。彼女を殺したくないからだ。
昨日の宴で二人が一緒にいるところを見て、ジタンはすぐにぴんときた。
コウジュは、ガーネットに自分と同じ感情を抱いている。
だからこそ、敵愾心(てきがいしん)が異常に燃えたのだ。
たとえ相手がガーネットの幼馴染であろうとも、変わらない。
誰にも──心からガーネットを望んでいる輩、または彼女の命を奪おうと考えている輩にも──彼女はわたさない。その白い肌に触れることはおろか、髪の毛一本さえ譲らない。
 広間はしばらくの間静まり返った。
その沈黙を破ったのは、コウジュの笑い声だった。
「くっ……あ、あはははははっ!」
 吹きだすように笑いだし、こらえられないように体をくの字にまげて笑う。
あまりに愉快そうに笑うので、成り行きを見守っていた貴族たちがあぜんとしたほどだ。
しかし、笑われる方の身としては、面白くもなんともない。
 コウジュはひとしきり笑った後で、なんとか呼吸を整えて、
「おもしろいほどに真っ直ぐだね、きみは」
「こっちは真剣だっつーの」
「ああ、ごめん、笑ったりして。でも、さっき触っちゃったよ?」
「あれは!……なかったことにする。でも次は許さねぇ」
憮然として言うジタンに、コウジュはおもしろそうに微笑んだ。
「許さないって、どうするつもりなんだい?」
「やるか」
「いや、遠慮しとくよ。さっきので、まだ手が痺れて痛いんだ」
 そうなのか、とジタンは思った。そんなそぶりはまったく見えなかったが。
だがコウジュがよく見えるようにと上げた右手を見ると、確かに、小刻みに震えていた。
「それよりも……女王陛下。先ほどのことは、誠に申し訳ありませんでした。こちらの警備の過失です。どうかご容赦くださいませ」
 跪き、臣下の礼を取ってコウジュが奏上する。そこでようやくジタンの腕から開放されて、ガーネットは答えた。
「わたくしならば、大事ありません。ただ、今後このようなことがないよう配慮してください。それをもって罰とします」
「……ありがとうございます」
恩情の言葉に、コウジュは深く頭を下げた──。






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