狂爛の宴
<6>





 女王陛下の着替えを手伝うのは、いつも侍女の役目である。
朝女王陛下の寝室に訪れて、おはようございますと挨拶をする。すると、女王はすでに起き上がっていて、おはよう、と朝日の中でまるで天女のように穏やかな笑みを浮かべて返してくれる。そして、他愛ないおしゃべりをしながら美しい女王を飾り立てていく。その時間が、侍女たちはたまらなく好きだった。

 しかし、この日の女王陛下は、いつもと様子が違った。
侍女とベアトリクス将軍が部屋に入室したときにはすでに女王陛下は仕度をすべて自分で整えてしまっていて、窓際の椅子に座ってなにか考え事をしていた。
挨拶をすると微笑んでおはよう、と返してくれたが、どこか元気がない。
いつも穏やかに笑んでいる表情も、翳りをおびている。
 心配そうに侍女たちがガーネットを見つめる中、ベアトリクスは一人毅然としてガーネットの前に進み出た。
「陛下、クシュハルト氏が本日午後から会談をと申し出ておられます。いかがなさいますか?」
「……わかりました、と伝えて」
は、と答えてベアトリクスは部屋から出て行く。
それを見届けて、ガーネットは侍女たちに向けて言った。
「みんなも、今日は夕刻の宴の準備まで部屋にさがっていていいわ。ご苦労様」
女王にこう言われては従うしかない。心配そうに何度も振り返りながら、侍女たちは静かに退出していく。
「あの……陛下。なにかありましたら、すぐにお呼びくださいね?」
最後に部屋を出て行く侍女が、扉を閉める前に言い置く。ガーネットはありがとう、と笑って、彼女たちを見送った。
 部屋の壁には、いくつもの燭台がつけられていて、蝋燭に火が灯されている。
ガーネットのすわっている椅子の前にあるテーブルにも、燭台があって、火が明々と灯されている。
 その蝋燭の火が、揺れている。
 その炎を見ながら、ガーネットはそっと瞼を伏せた。

『自分の『居場所』を……おまえを、守らせてくれよ……───頼むから……』

『僕がいる。僕がセーラを守ってあげるよ』

『……っ勝手にしろよ……!』

『……痛かったろう?』

『……少年はその体の一部を切ることを、進んで受け入れた。これも、少女を守れなかった自分への……──罰だと』

「…………」
そっと心の中で、胸に巣くう二人の青年の名を呼んでみる。
この胸に巣くっている一人の青年はすぐに応えてくれて、もう一人の方は……応えてくれない。
『……っ勝手にしろよ……!』
 訣別。
それが結局、一番いいのかもしれない。
アレクサンドリアがいま一番求めているのは、国を建てなおし、維持・発展していくためのお金だ。アルクゼイド──コウジュと結婚すれば、そのためのかなりの費用がまかなえる。自分はアレクサンドリアの女王であり、アレクサンドリアを復興そして発展させなければならない義務がある。
 自分がアルクゼイドと結婚すれば、すべてはまるく収まるのか──。

ガーネットは目を開いて、炎を見つめた。
炎はもう、揺れてはいなかった。





 会談は、応接間らしい部屋で行われた。
ガーネットが入室するなり先に待ち構えていたイララ・クシュハルト氏は立ち上がり、両手を広げて彼女を迎え入れた。
「さぁどうぞこちらにおかけください」
促がされるままにソファに腰掛け、ベアトリクスはそのすぐ斜め後ろに控える。
クシュハルト氏も、ガーネットの反対側のソファに腰掛け、ガーネットと向き合う形になった。
「どうでしたか? 昨晩はよく眠られましたか?」
「ええ、おかげさまでぐっすりと」
 本当は一睡もしていないのだが、まさか本当のことをいうわけにはいかない。あたりさわりのない適当な返事を返しておいた。
「いまここに妻と息子がいないことを先にお詫びいたします。実は妻は一年程前から病を患っておりまして、ずっと眠ったまま意識が回復しておらんのです」
「まぁ、ご夫人が……」
「ええ。いつ目が覚めてもいいようにと、いつもわたしか息子がそばについておるのですよ。こればっかりは、使用人たちには譲れませんから」
 見るからに厳格そうなクシュハルト氏の顔が、妻や息子のことを話すときはおしみのない笑顔になる。ガーネットはそこに紛れもない家族愛を感じて、目を細めた。
「さて、本日この会談を申し出ましたのは、なにを隠そうわたしの息子・コウジュについてです」
 クシュハルト氏の表情がいつもの厳めしい顔つきに変わる。ガーネットも、その言葉を聞いて視線を落とし、瞼をなかば伏せた。
「昨日の宴で陛下はコウジュと踊っていらっしゃいましたから、もう息子のことはご存知のはず」
 知っているも何も、と思ったが、そんなことが口にだせるはずがない。
ガーネットはただ黙って腿の上に重ねた自分の手のひらを見つめていた。
「コウジュはわたしの息子とは思えないほどに立派に成長しました。……どうですかな?よければぜひとも────コウジュと婚約を」
 アレクサンドリアのためを思えばこれほどいい縁談はそうはないでしょう?
そう付け加え、クシュハルト氏はこちらの様子を窺うように見た。
 アレクサンドリアのためを思えば────
ガーネットは瞼を一度伏せた。

覚悟を決める。


答えは、すでに決まっていた。

息を吸い込む。

ゆっくりと目を開け、クシュハルト氏の視線を真っ向から受ける。

口を開き、心からの言葉を発する。

「…………───つつしんで、お断りさせていただきます」

 クシュハルト氏の目が大きく見開かれるのを、ガーネットは間近で見ていた。
「申し訳ありません。……あなたのご子息は、私には勿体無いほどの方です。どうかお赦しください」
 立ち上がって、深くお辞儀をする。息子を大切に思うクシュハルト氏と、セーラをずっと想ってくれていたアルクゼイドに。
「……申し訳、ありません」
 同時に、ごめんなさい、そう心の中で呟いた。
「それでは、これで退出させていただきます」
 今度は軽く礼をし、そして部屋から退出した。ベアトリクスもあとに続く。
部屋に残されたクシュハルト氏は、しばらくの間茫然自失していた。
廊下から静かに響く、遠ざかっていく足音も、彼には聴こえていない。
「は……はは………」
 やがて、渇いた笑い声がその唇から洩れる。目は見開いたままだった。瞬き一つしない。
「は……はははははははっ!」
笑う。彼は狂ったように笑う。腹の底から笑う。
「は、はは、ははははは!わたしの…っわたしの穏便な策を退けるというのか!?」
 立ち上がる。薄暗い部屋の中をなんのためらいもなく歩いて彫刻や壺などの美術品が置かれている棚のところへくると、おもむろに壺の一つを取って投げる。
 がしゃん!と音をたてて壺は砕けた。
「わしの穏便な策を退けるというのかぁ──!!」
立て続けに棚に並んでいるものを投げつける。壁にも床にも、砕けた破片が散らばる。
反動的に返ってきた破片が自らの手や顔を傷つけようと、彼はやめなかった。
燭台の火が、大きくなる。
どこに隠れていたのか、部屋の隅から一匹の蝶がひらひらと舞い出てきた。
クシュハルト氏は気づかない。
「ディアナ……」
 並んでいた美術品と棚をすべて破壊し、破壊するものが目の前からなくなったクシュハルト氏はぽつりと呟くと、まるで幽鬼のようにふらふらと部屋から出て行った──。






「……陛下、本当によろしかったのですか?」
 ベアトリクスがためらいがちに声をかけてきたのは、あてがわれた部屋の直前だった。
足を止めたベアトリクスを振り返り、ガーネットは彼女に苦笑して見せた。
「……わたし、女王失格ね」
 アレクサンドリア女王として、クシュハルト氏の申し出は受け入れるべきものだった。
けれど、ガーネットは拒否した。それは……
「その、よろしかったのですか?イララ大臣のご子息は、陛下の……」
 その言葉に目を見張ったのはガーネットだった。
「ベアトリクス、あなたひょっとして、昨日……」
「…………暗闇の中、陛下をお一人で行かせるわけには、と思いまして……。その、立ち聞きをするつもりはなかったのですが……」
申し訳ありません、とベアトリクスは目を閉じた。
ふぅ、とガーネットは息を吐いて、
「いいのよ、ベアトリクス。あなたはわたしの護衛が仕事ですものね」
そう言って彼女の肩に手をかけた。ベアトリクスの肩はまさに剣士のもので、ガーネットのものとはまったくつくりが違うようだった。
「……いま、コウジュと結婚すれば……それは同情になるわ」
「……陛下」
 ベアトリクスの見つめる先で、ガーネットはそっと目を伏せた。
「遅かったの……。わたしはもう、ジタンを選んでしまっている。『私』は……彼でなければ、だめなの」
 ジタンでなければ、だめなの。
たとえ、『女王』としてアレクサンドリアのために他の誰かのところへ嫁がなくてはならなくても、『自分』は、ジタンが、いい。ジタンでなければ、駄目なのだ。
「いまコウジュとの結婚を受け入れるのなら、それは彼に同情しているということだわ。それは、彼を傷つけてしまう。わたしのせいで故郷を捨てて、角を捨てて……自分から傷ついてきたのよ……? そこまで真剣に想ってくれた人に、どうして同情で嫁ぐことができるというの……?」
「陛下……」
 肩に置かれたガーネットの手が、小刻みに揺れている。
ごめんなさい、と小さく呟く声が聴こえた。
 それは、ベアトリクスに向けてではなく、一人の、一途でひたむきな青年に向けてだった───。






 トレノは一日中暗闇に包まれているので、隠れるには実にもってこいの街だ。
遠くで光るカードスタジアムの明かりを眺めながら、ジタンはぼんやりとしていた。
彼は今、クシュハルト邸の庭に植えてある大きな木にのぼり、適当な太さの枝にすわって幹に背をもたせている。
遠く見えるトレノの街の明かりを見つめ、ジタンは溜息をついた。
  ガーネットは、どうしてるだろう?
 昨日のことを思い出すだけで、溜息が出てくる。
 実に、自分は情けなかった。情けなくて、額を手にうずめる。
『勝手にしろよ……!』
 そう吐き捨てて逃げた先は、この場所だった。ここに逃げて、それからずっとここにいる。
 ガーネットは、ただ、純粋に希望をもって確かめたいだけなのだ。
 壊滅した故郷で一緒に暮らしていた幼馴染は本当に死んでしまったのか。
そう頭でわかっても、口は止まらなかった。
「おれって……けっこう独占欲強かったんだな……」
 また特大の溜息をつく。こんな自分の一面、知らないほうが良かったのかもしれない。
「厄介だよなぁ……」
 なにしろ相手はアレクサンドリアどころではなく、大陸中に知られた有名人だ。なまじ容貌が人間離れして綺麗なものだから、自分の恋敵といえば、何万人いるのかわかりゃしない。だからこそ、いままで独占してきた間「ふふん、いいだろう」とばかりに少し優越感に浸ったりもしてしまったが。
 その、彼女と一方的に喧嘩別れしてきてしまった……。
もし彼女が自分のいない間に、奴との結婚を承諾してしまったら……そう考えるだけで、胸が焦げる。
あの艶やかな黒髪に、白いなめらかな肌に、赤い唇に、触れる権利をあいつが持つ……。──想像しただけで、嫉妬で狂いそうになる。
「くそっ……!」
『コウジュさまとガーネットさまなら、家柄も……』
 そのとおりだ。コウジュは家柄的にもガーネットにふさわしい。自分はふさわしくない。
もともと自分がコウジュのような立場であれば、今回のようなこともなく、あいつが気を病むこともなかったはずなのだ。コウジュのような立場であれば!
  でも────……
そう考えて、ふと、それを打ち消した。
 でも──……盗賊だったからこそ、あんなふうな形で、あいつと、出逢うことができた────……
 盗賊じゃなかったら、タンタラスじゃなかったら、出逢うことはできなかっただろう。


─────『いますぐ私を誘拐してくださらないかしら』


出会った頃の、国を救おうと必死だった彼女を思い出すと、自然と顔がほころぶ。
世間知らずで、でも一生懸命で、見ていると今は大変なときなんだっていうことを忘れそうになるくらい、楽しかった。
『お願い、かならずかえってきて……!』
涙を見せまいと笑ったあの日の彼女。自分はその約束を守るために必死で生き延びて、そして彼女のもとへと還った。……──彼女は、待っていてくれた。
 涙を流しながら飛び込んできた彼女の顔を、名前を呼んで、おかえりなさいと言ってくれたあの時のあの微笑を、自分は一生忘れることはないだろうと思う。
同じようにこの想いも、終わることはないだろう。きっとこの胸の温度は一生、下がらない。
望むのはただ一人。
『アレクサンドリアの女王』ではない。
ただの、『ガーネット』だ。
たったひとり。彼女だけ。



 ジタンはふと、視線を屋敷の中に移した。
ジタンの鍛え上げられた感覚が、なにかを感じ取った。
屋敷の部屋の中を、目を凝らして見てみる。部屋の中は薄暗いが、この程度の薄闇で目が利かないようであれば、タンタラスで盗賊などとやってはいられなかっただろう。
 部屋の中には、男が一人いた。
  あれは───……
 見たことがある。あの背中は、クシュハルト氏に間違いなかった。
  あれ? ここって、あのおっさんの部屋だったか……?
 ジタンが頭をひねっていると、クシュハルト氏は部屋の中の寝台に向かい、おりていた帳(とばり)を丁寧に柱に結びつけた。
  なんだ?
 寝台には、誰かが横たわっているようだった。妙なふくらみが見える。
  ひょっとして、あのおっさんの夫人の部屋か……?
 それならば、これ以上覗くのはやばい。そう思って、視線をそらそうとしたときだった。
 クシュハルト氏が、ベッドに横たわっていた人物の上半身を起こし、そのまま抱きしめた。その瞬間蝋燭の光に照らされて、その人物の顔がジタンにもはっきりと見えた。
「!」
  ────あれは!
 思わず叫びそうになったとき、すぐ下で人の気配を感じた。
気づくのが遅かった。
相手はこちらに気づいていた。
逃げられない。


「人の屋敷で覗き見をするのはどうかと思うよ? マーカスくん──いや、ジタンくんと呼ぶべきかな?」






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