水月祭
-suigetsusai-
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「よし、ここまで来ればさすがにおっさんもあきらめるだろ。もう急がなくてもいいぜ」
 そう青年に言われたのはアレクサンドリア城の乗り場からかなり離れたときで、その時にはライアはかつてないほどのスピードで舟を操ったために、かなり疲労していた。

「疲れたろ?ゆっくり行っていいぜ。ここまで来ればもうこっちのもんだし」
「わかりました……」
 有難く青年の言葉に従ってこぐスピードをいつもよりも遅くし、ほう、と息をついた。
「大丈夫か?」
「ええ、はい……」
「ごめんなさいね。急がせてしまって……」
 そう言ったのは、舟の反対側に腰掛けている女性。布でその顔は見えないが、端からわずかに整った口元がのぞける。
 綺麗な澄んだ声が、本当にすまながっていることはみてとれた。
「おれとしたことが、おっさんに見つかるなんて……。最近、なまってきたのか?」
 首をかるく振って青年が言うと、女性は微笑んだ。
「あの警備のなかスタイナ―にしか見つからなかったというのは、すごいことよ」
 そうかなぁ、と青年は少し照れながら答える。
はた目にも、いかにも初々しい恋人同士といった感じの二人である。
「これから水月祭に参加されるのですか?」
 何気なく尋ねると、二人は顔を見合わせて、淡く微笑んだ。
  うわ……
 それを見て、いいなぁ、と心の奥底で思わずライアは呟いた。
それほどに二人の間の空気はとても穏やかで、甘い。
 口元をほころばせ、静かにやさしく微笑みあった二人の姿は、深く──深くライアの印象に残った。
「ああ、そのつもりだよ。ダガーが、水月祭を見たことがないって言ったからさ。それで……」
 彼女思いなんですね、と言うと、いやぁ、と照れて青年は頭を掻いた。




 その後舟は順調に湖を渡り、和やかな雰囲気のまま城下町の舟場についた。
 舟場のすぐ向こうではいたるところに露店が出ていて、夜の闇を打ち消すように大きなランプに火を燈し、威勢のある声で客を呼び集めている。その前を通り過ぎる大勢の人、人、人───。中央広場は、人であふれかえっていた。
 それも、布を被り揃いの盛装をした娘たちばかりではなく、また自らの相手を求める青年たちばかりではなく、ありとあらゆる年齢の、それこそ老若を問わず大勢の人間、亜人たちでにぎわっていた。
「わぁ……キレイ……」
 通り過ぎていく人たちを明々と照らしだす明かりはいたるところに吊り下げられ、幻想的な雰囲気をかもしだしている。ガーネットはその光景を見るなり感嘆の声をあげた。
「さぁ、お姫様。お手をどうぞ」
 さきに舟から降りたジタンが、うやうやしくその手を差し出してきた。
 その大仰な仕種にクスクスと笑い、手を取って自分たちをここまで連れてきてくれた舟から降りる。
「ここまでどうもありがとう」
「お気をつけて楽しんでらしてくださいね」
 舟をこいでくれたアレクサンドリア兵に笑顔で礼を言い、そしてふたりは手をつなぎあって人ごみの中へと滑り込んでいった───。






  でも、なんで急いでいたのかしら?
 微笑ましく手をつないで人ごみの中へと消えていく二人の背中を見送りながら、ライアはふと思った。
 いままでは急いでいたり二人のほんわかムードに見惚れたりでそんなことを考える余裕がなかったのだが、二人を城下町に送り届けた後ではたと考えてしまった。
「…………ま、いっか」
 あとで興奮したスタイナーに、その二人をみすみす城下町に送り届けたことや女性の正体にまったく気がつかなかったことを責められ、上司であるベアトリクスが自分を庇うことになるとは、このとき彼女はまったく予想もつかなかった──。





 あれこれといろいろな露店を見てまわり、見たこともない品物を見つけるたびにはしゃぐガーネットにジタンもいっしょになってはしゃいであれやこれやと説明をし、二人はよく笑いあった。
「さぁ、次はどこに行く?」
 楽しそうな笑顔でガーネットを振り返り、尋ねる。
 薄布を被った彼女の口元しか見えはしないが、その布の奥にある黒曜石のごとき瞳が楽しそうに細められているのが、ジタンには手にとるようにわかっていた。
 いくらなんでも、アレクサンドリアの城下町ではガーネットの顔は知られすぎているうえにその容姿自体が目立ちすぎるほどに目立つので、彼女は顔を隠さざるをえない。
 そういう意味でもこのお祭りを利用させてもらったわけだが、自分のパートナーを探している青年たちにとっては「布を被った女性」というのは「このお祭りのパートナーをまだ見つけていない女性」という意味になり、一度飲み物を買いにガーネットのそばをジタンが離れた隙に、ある一人の青年が彼女に声をかけしつこく誘っていたのを、戻ってきたジタンが
『おととい来やがれ』
の一言で一蹴したこともあった。もちろん、その後ジタンが二度と彼女のそばを離れようとしなかったというのは、言うまでもないことである。
「あっちの店は……さっき行ったな。あそこはどうだい?金細工を扱ってるみたいだぜ?お、向こうの店はアクセサリー類だな」
 水を得た魚のようにいきいきとした表情を見せるジタン。ガーネットは、そんなジタンのようすを見て布越しに微笑みながらも、その反面胸にすこしの痛みを感じないではいられなかった。
「ダガー?」
 声をかけられ、ガーネットは慌ててなんでもないの、と笑顔をつくろって首を振った。
「もしかして、疲れた?」

青い瞳が気遣わしげにガーネットをのぞき込む。
「ううん、違うの。ほんとに、なんでもないのよ」
 ほんとうか?と念をおすように重ねて問うジタンに、それより、とガーネットは言った。
「わたし、行きたいところがあるの」





 街を抜けると、そこは一転して明かりのまったくない世界だった。
 すこしの間森のなかを月光をたよりに手を取って歩き、やがて辿り着いたのは、アレクサンドリア城をぐるりと囲む湖の、ほとり。
「きれい……」
その光景を見て、呆然とガーネットは呟いた。
「『夏は夜』ってな。昔の人はよく言ったもんだぜ」
 その隣で、ジタンがおどけて言う。手を額にかざして、湖のだだっ広い水面を眺め渡した。
 広い、海と間違えてしまいそうなほどの水面には、優美なるアレクサンドリア城と、ふたつのまあるい月が、映し出されてゆらゆらと揺れている。
 空には、静かにまたたく星たちと、姿を写し取られた月たち。
 聴こえるのはゆらゆらとさざめく湖と、森たちの音だけ。
 しん、と冷えた空気が、湖面からの風とともに流れてくる。
 光景の美しさとその風に、ガーネットはすこし体を震わせた。
「さむいか?」
 ガーネットの衣装は、肩を大きくむきだしにしているデザインなので、いくら夏とはいえ夜の湖という場所では寒さを感じないではいられないだろう。街のなかでは顔を隠すために被っていた布も、肩に羽織るにはすこし小さい。
それを察して、ジタンが問い掛ける。
「だ……」
「大丈夫とか、言うなよ?夏とはいえ、夜の湖は冷えるんだから」
 見事に見抜かれて、ガーネットはすこし困ったように微笑んだ。
 同じように微笑んで、とは言っても、おれも上着ないしなぁ、とジタンはぼやく。
「いいの。わたしが来たいって言ったのだし、大丈夫よ」
 言いながらガーネットは湖のほとりの草地に腰掛ける。緩やかな斜面になっているので、すわっていても十分に湖面が見えた。
「だめだって。風邪なんかひかせたら、おれがベアトリクスの視線とスタイナーのおっさんに殺される」
 大まじめにジタンは言い、まぁでも、と付け加える。
「ガーネットが風邪ひいたら、つきっきりで看病するけどな」
 それを聞いてクスクスと笑い、ガーネットはじゃあ、風邪をひきたいわ、と呟いた。
「だから、だめだって」
 まるで小さな子供に言い聞かせるようにジタンは言うと、自分もすわってガーネットを後ろから抱き込んだ。
ガーネットの素肌を、ジタンの腕が覆い隠す。
「これなら大丈夫だろ?」


    
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