たとえばもし、と考えてみる。
もしあのとき、ジタンではなくて別の誰かがわたしを攫いにきていたら、いまはどうなっていただろう?



 夜半過ぎ、なにか物音を聴いたような気がして、ガーネットはふと目を覚ました。
 目をぼんやりと開け、耳を澄ましてみると、まず耳に入ってきたものは動力音。ドウンドウンという、ちょっと特殊な音がわずかだがはっきりと聴こえてくる。だが、先ほど聴いたのとは、なんだかちょっと違う気がする。
  ここは……?
 聴き慣れない音に不思議に思い、体を起こしてまわりを見回してみると、あたりは薄闇。
すこし間をおいて、闇に慣れてきた目で見ると右隣のベッドにはフライヤが、その長くて細い体を小さく丸めて静かな寝息をたてており、左のベッドではエーコが体を大きく広げて眠っていた。二人ともぐっすりと眠っていて、ちょっとやそっとでは起きそうになかった。
二人がいてくれたことに少なからずも安堵を覚えるが、やはり部屋は見慣れない部屋。三つのベッド以外にはなにも調度品はなく、あるのは三人の荷物のみ。おまけに、こころなしか揺れているような気がする。まるで、飛空挺にでも乗っているかのような……。
  そうか、いま、ヒルダガルデ3号に乗っているんだったわ……。
 思い出して、すべて合点がいった。この聴き慣れない動力の音はヒルダガルデのエンジン音、そして見慣れないこの部屋はシド大公が、私たちが休めるようにとヒルダガルデ3号に設けてくれた仮眠室だ。この部屋は女性専用で、この部屋の向かいの部屋が、男性の仮眠室のはずだ。『淑女が男性と同じ部屋で眠るのはよくない』と神妙な顔つきでシドが言っていたのも思い出した。
 改めて隣でぐっすりと眠っている二人を見てみると、眠りは相当深いようで、いつもなら人の動く気配に敏感なフライヤでさえ、ガーネットの目覚めに気づくこともなく寝入っている。
 無理もない。
毎日が戦いで、今までほんの一時も気を休めることなどできなかったのだ。眠っている時でさえ、少しの物音にも敏感でいなければならない──いつどこから敵が襲ってくるかはわからないのだ。来る日も来る日も猛然と襲いかかってくるモンスターを倒しながら先へと進むのでは、いくら戦いに慣れたブルメシアの竜騎士であろうともやがて疲労と緊張の所為でまいってしまうだろう。とくに、野営をするときなどは寝ていてもぐっすりと眠りに浸ることなどできはしない。その点、飛空挺は確実に安全とはいえなくとも、モンスターに襲われる確立は低くなるのだから、すこし気を緩めることはできる。だから、フライヤたちもこんなに熟睡してしまっているのだろう。
 ガーネットも決して疲れていないわけではないのだが、なんとなく目がさえてしまったので、そっと毛布を体からおろすとベッドから降り、少し風に当たろうと甲板に出てみることにした。




 外は、月の光がとても明るかった。甲板に置かれているいろいろな物や、木でできた床がはっきりと見ることができる。
静かな夜にヒルダガルデのエンジンの音だけが響いて、なんだか不思議な気分だった。
だが外の風は冷たい冷気を帯びていて、ガーネットは一度体を震わせた。冷気を孕んだ風は容赦なくガーネットへ向かってきて、短くなって風にもてあそばれる髪を手で抑える。吐き出す息は、白かった。
 端に備えられている手すりに近づこうとして、ガーネットはふと先客がいることに気がついた。
「眠れないの?」
 相手はガーネットが声をかける前に彼女に気がついていた。手すりに寄りかかるようにして立ち、口元に柔らかな笑みを浮かべて彼女を見ている。
「ダガーこそ。眠れないのか?」
 彼の手招きする手に誘われて、ガーネットは彼の隣へと移動した。
「目がさえてしまったみたい。ジタンは?ずっとここにいたの?」
「いいや。おれもさっき目がさめて、ここへ来たばかりだ」
 するとさっきの物音は、ジタンが部屋を抜け出す音だったのね、と思いながら、ガーネットは手すりに手をかけて下を眺めてみた。途端、感嘆の声をあげる。
「ジタン、見て!海がすごく綺麗」
 下に広がっているのは一面の海。それも、月の光を受けてまるで無数の宝石を散りばめたかのような輝きを放っている。ガーネットは興奮して食い入るように海を見つめた。うれしそうなガーネットを、ジタンが微笑みながら見つめる。
「綺麗だわ。まるで宝石みたい……」
そっと呟くと、ガーネットは少しの間黙って、きらきらと輝く海を見つめた。
下に広がるこうした海を見ていると、アレクサンドリアが思い出される。城の窓から月の明るい晩に湖を眺めると、こんなふうにきらきらと輝いていたのだ。
……アレクサンドリアのことを思い出すと、胸が締め付けられるように痛くなる。かつては美しい街並みであったアレクサンドリアが、たった一晩で、瓦礫の街へと化してしまった──それも、自分の中から取り出された召喚獣の手によって。その事実が、ガーネットの心をいたく傷つけた。
その直後はショックで声を出すことができなくなるほどに落ち込み、なんとか回復することはできたが、やはりまだ、完全には立ち直れない。アレクサンドリアを、犠牲になった人々のことを考えるだけで、涙がでそうになる。
輝く海がにじんできて、手すりを握る手に力を込めた。
 そんなガーネットの頭に、ふとあたたかな手が置かれた。そのまま慰めるように、ポンポンと手が頭の上ではねる。
 驚いて隣のジタンを見上げると、ジタンは優しく微笑むだけで、なにも言わなかった。間近で見上げたジタンは、月明かりにあてられた金色の髪が海のように輝いていて、きれいだな、と思った。
「ありがとう。大丈夫、泣かない」
 ジタンの手を取って頭から下ろすと、反対に手を掴まれた。そしてそのまま、ぐいと引き寄せられる。
「ジ、ジタン?」
「寒いから」
 冷たい風に体温を奪われつつあった体を急に暖かい体温に包まれ、ガーネットの鼓動はその速度を速めた。ガーネットの体はもはやジタンにすっぽりと包まれていて、ガーネットはどうしてもジタンの胸に顔を押し当てる格好になる。ジタンの息が耳元をかすめて、ガーネットは自分でもなぜかわからないが赤くなった。
「……ちょっと、もったいない気がするな」
 ガーネットの、切られて短くなった髪に指を絡ませながらジタンは呟いた。
「なななにが?」
「髪。せっかく、長くてきれいだったのに……」
 もったいない、とジタンはまた言った。
 以前は腰まで届きそうな長さだった漆黒の髪は、今日、ばっさりとこの手で切った。もともと危険な旅をするうえで長い髪は邪魔だと感じていたし、自分の手で自分を変えたかったから。
王族の女性は髪を伸ばすのがしきたりと言われ、それに従って伸ばしていただけの髪。自分は今までまわりに教えられるがままに、王女らしい振る舞いと話し方、いかに王女らしくみせるかということばかりを覚えてきた。
それに気づくきっかけをくれたのは、ジタン。
自由奔放に生き、前を見据えて自分の感情のままに素直に動く。そんな彼を見て、どれだけ憧れたか。うらやんだか。そして、自分もそんなふうに生きてみたい、と思った。それは決して王女という身分を放棄する意味ではなく、彼のように自分に正直に、自分らしく生きてみたい、そう感じたのだ。
ジタンと会って、城を出て、王女らしさを捨てたつもりだったけれど、どのようにしたら王女らしいかを考える心が残ってしまっていた。それを象徴するかのような長い髪も。
それらをすべて捨て去ること。本当に自分らしいとは何なのかを知るための第一歩として、どのように振舞うことが王女らしいか、女王らしいか、そんなことばかり考える自分に終止符を打つ意味での、断髪だ。ガーネットには、後悔はまったくなかった。
「短いのは、似合わない?」
「いや、似合うよ。よく似合ってる」
 それどころか、白い首筋がえもいえず色っぽくって、なんてゆーかこう、いいんだよなぁ……。見惚れてたらスタイナーのおっさんに睨まれたけど。と声に出さずに心の中で呟いて、ジタンは小さく溜息をついた。
「?どうかしたの?」
溜息の意味がわからずに、ガーネットは首をかしげる。
「なんでもない、なんでもない。それより、もう戻って休もう。明日はイプセンの古城の攻略が待ってる。いまのうちにゆっくり体を休めておかないとな」
「ええ、そうね」
 ジタンがガーネットの細い体を閉じ込めていた腕を解き、二人は隣り合って下へ降りる階段へと歩いていく。
歩きながら、ガーネットは隣を歩く少年の横顔をそっと仰ぎ見た。
 よく晴れた青空みたいに澄んだ瞳は、まっすぐに前だけを見ている。
 たとえばもし、と考えてみる。
 たとえばもし、この瞳に出会わなければ、自分は果たして王女という仮面をはめつけられていることに気がつくことができただろうか。仮面を捨て去ることができただろうか。
 きっと、無理であっただろう。彼に出会わなければ、きっと変わることなどできなかったはずだ。
「……ありがとう、いてくれて」
 彼には聞き取れないくらいの小さな声でそっと呟く。
何か言った?とジタンがこちらを見る。
ガーネットは答える代わり微笑んで、そっと彼の右頬に唇で触れる。
子供のころよく父と母にしてもらった、おやすみなさいのキス。悪夢を払いのけて、よい夢を見させてくれるという。
 驚いたように目を大きく見開く彼にもう一度微笑んで、おやすみなさい、というとガーネットは足早に階段を下りていった。
「え?」
 一人取り残されたジタンは、しばらくの間今なにが起こったのかを思い出すように立ちすくんだ。
さらにしばらくたった後、のそのそとガーネットが触れた右頬に手を当て、次いでジタンが口にした言葉というのは、
「……──惚れたか?」
だった───。

輝きの海
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