|
夜空には小さな星たち。
幾千年も昔から変わらずに夜空を彩りつづけた星たちは、いまも輝きを褪せることなく夜空で輝いている。それは、きっと一千年、一万年経とうともかわらない。変わらずに、夜空に散りばめられている。
とくに今夜は雲が少なく、星たちは惜しげもなくその姿を晒していた。
その遮るものがなにもない空を見上げながら、ガーネットはそっと吐息を洩らした。
寝室のテラスに白い夜着のみで星を見上げ、物憂げにたたずむその姿は無防備で、見る者の心までをも掻き乱してしまいそうなほどの美しさ。
星の光にあてられた黒髪は濡れたように輝き、月光にあてられた肌は普段よりも白く、なめらかで、まさに星たちの光によって生み出された美の化身とも言うべき姿であった。
形の良い眉と大きな漆黒の瞳が物憂げにひそめられているのは、あるひとりの青年の所為。
唇だけでその青年の名を呼んで、ガーネットはまた吐息を洩らす。
彼女を浮かない気持ちにさせているその犯人はいま、この星空の下のいずこかに、いる。
居場所は知れない。
一週間ほど前に、三、四日ほど旅に出てくると言ってそのまま、まだ帰ってこないのだ。
行き先も、知らない。
ガーネットは彼が旅に出てからというもの、毎日が味気なくて物足りなくて……寂しくて、毎夜テラスに出ては彼の帰りをいまかいまかと待ち望んでいた。
そんなガーネットとは対照的に、彼がこの部屋からいなくなった日からも、見上げる星は全く変わらずに輝きつづけている。
ガーネットが思わず三度目の溜息をつきそうになったそのとき、突然テラスのすぐ側にあった木の枝ががさりと揺れた。
「ジタン!?」
ついそう叫んでしまって、枝を揺らした犯人を見つけるとガーネットは少し頬を赤らめた。
そこにいたのは、なんでもない、アレクサンドリアではよく見られる鳥だった。
サジュラと一般には呼ばれ、体は大きくも小さくもなくて全身が白く翼の先がすこし灰色がかっているのが特徴だ。おとなしい性格と正確な帰巣本能をもっているため、しばしば民家でも飼われている。
ガーネットが穏やかな笑みを浮かべ、きょろきょろとせわしなく動く目に目線を合わせてゆっくりと手を差し出すと、人懐こくすぐに人差し指の上に移動してきた。よしよし、と空いたほうの手で撫でてやる。
「こんなに人に慣れているということは、だれかに飼われているのね。迷ったの?」
鳥は夜に飛行することはできない。おそらく、このあたりに迷い込んでいるうちに日が暮れてしまい、帰るに帰れずこんなところで羽を休めていたのだろう。
たしか机の上にパンがあったはず、と思ってガーネットは部屋に引き返した。ジタンが旅に出てからというもの、一人で食べる食事は(クイナが作ってくれているのだからとても美味しいはずなのに)なんだか味気なくて、あまり食べる気が起きない。こんなことではいけないなと思いつつも夕食もあまり入らず、見かねたクイナが食べたくなったらいつでも食べられるようにとパンを作って机に置いていってくれたのだ。
焼かれてからだいぶたったはずなのにまだふっくらとした感触のパンを少しちぎって与えると、サジュラは喜んでそれをついばみ始めた。
一生懸命にパンをつつくサジュラの様子をみてガーネットは自然と笑みを浮かべた。そして、そっと呟く。
「あなたは、家に帰れなくて……寂しくないの?」
……あなたも、あのひとも。
尋ねられたサジュラは ? と首を傾げ、またパンをつつきだす。
ガーネットは少し息を吐き出して、また星空を見上げる。そうして、息を止めた。
「あ、見つかっちまっ……た?」
ガーネットが目を見開いて見つめる先で、黒い影は木の枝にのったままそう呟いた。
顔は見えない。けれど、その決まり悪そうな声と、頭を掻くクセ、猫のようなやわらかい尻尾……。それらが、だれなのかを知らしめていた。
「ジタン!」
地上からはけっこうな高さがあるというのに、それをものともせずに彼は木からガーネットのいるテラスへと軽々飛び降りる。それにサジュラはびっくりして飛びのいた。
サジュラはそれまでガーネットのすぐ側に擦り寄るようにしてパンをつついていた。が、ジタンの登場に驚いたサジュラは低空飛行をするようにテラスの端っこへと離れていった。ジタンはそんなサジュラに、ふふんといった表情を向ける。つまり、ちょっとしたヤキモチを妬いていたわけだ。
「ただいま、ガーネット」
出逢った頃から変わらない、あの笑顔を満面に浮かべて彼は言った。
「三、四日で戻るつもりだったんだけど、思ったより道が複雑で手間取っちまった。……心配、してたみたいだな」
「あ、あたりまえでしょう!?」
不覚にも涙ぐんでしまい、それを気づかれまいとガーネットは強い調子で答えた。
ごめん、と呟いて、ジタンは彼女を引き寄せる。ガーネットの頭を自分の胸に押し付けるようにしたことから、彼は見抜いているのだろう。なんだかくやしくて、ガーネットは彼の胸をぽかりと叩いた。
「ごめん、はやく声をかけようと思ってたんだけど、さ。ついつい見惚れてて……」
なにに?と尋ねようと顔を上げると、唇を覆われた。
突然のことに目を少し見開いて、ガーネットは彼の腕の中で固まった。すぐ間近にきれいな金色の髪とふせられた長い睫毛があって、その向こうでは幾千もの星たちが瞬いている。綺麗、と思って、無意識のうちに瞳を閉じた。差し込められてきた舌に応えるように、自らのそれも絡ませる。
久しぶりの感触をひとしきり味わって、やっとガーネットをすこし離すと、ジタンは少しからかうような笑みで、おれの帰りを心待ちにしてくれている深窓の姫君の姿に、と言った。もう!とまたガーネットは彼の胸を叩く。
「それに一度タイミングをはずすと、なかなか出て行きづらくて」
「え?」
聞くと、本当はサジュラが出てくる前からずっとそこにいたらしい。あの、木の枝が揺れたときに姿を見せようと思ったが、思いがけずガーネットが自分の名を呼んで、そのことに驚いているうちに見つけられたのがサジュラだけであったので、なんとなく出て行きづらかったらしいのだ。
ジタンの名をとっさに呼んでしまったのを聞かれていたのだと知って、ガーネットは顔を赤らめた。その顔を見られまいと彼の胸に顔をうずめる彼女にジタンは笑って、艶やかな黒髪を指に絡める。
ガーネットはそっと目を閉じて、彼の胸に耳を押し当てて鼓動を聴く。彼の体温と心の音は、とても気持ちよくて、安心する。
その状態のまま、ジタンの服をぎゅっと掴んだガーネットに、ジタンは、ん?という顔をする。
「ガーネット?」
「ちょっとだけ……夜が明けるまで、このまま一緒にいて……」
ガーネットにしては珍しい、その甘えるかのような言葉。無論ジタンが久しぶりに逢った彼女を放すなどするはずがないのだが、その言葉を聞いて彼が少し悪戯げに笑んだのを、彼女は知らない。
「……このまま、でいいのか?」
「え?」
怪訝な顔で彼を見上げようとするその前に、ガーネットの体の平衡は崩れた。あ、と声をあげる間もなく、ジタンに横抱きにして抱えられた。あっけに取られていると、彼はそのまま部屋へと入り、暗闇の中をたじろぐこともなく歩いた。すぐにふんわりとした、慣れた感触に降ろされて、そこがベッドだということに気づいたときにはもう抗議をするにも口は封じられ、彼のやさしい手のひらがガーネットの白くなめらかな肌の上をすべり始めていた。せめて抵抗しようとした手は、力なく彼の背へ。
シーツに広がった夜空のような黒髪に、まるで流れ星のように金色の髪が入り乱れる───。 |
|