聖夜
-Luminous-


 ある朝、目が覚めて……ガーネットは隣のぬくもりがないことに気がついた。
いつもならガーネットが目を開けると、待ち構えていたかのように彼は目の前にいて、その腕にガーネットを閉じ込めて、おはよう、と笑顔で言ってくるはずなのに……。
昨日、まどろむ直前には、確かに彼は隣にいたはずだった。けれどいまそこは、冷めたシーツが彼の不在を訴えるばかり。
「ジタン……?」
身を起こして、ためしに呼んでみる。けれど、広い部屋の中はしんと静まり返っていて、聴こえたのは朝を告げる鳥たちのさえずりだけだった。
どうしたのかしら……?
少しの不安を胸に抱いた時、ドアが遠慮がちにノックされた。
「ガーネット様、そろそろお時間です」
 次いで二、三人の侍女を従えて部屋へと入ってきたのは、ベアトリクスだった。
ガーネットは彼女の姿を認めて彼女なら何か知っているかもしれないと思い、侍女たちが手際よくガーネットの髪を梳き、着替えを手伝う合間に尋ねてみた。
「ジタン……ですか?」
 ベアトリクスは少し眉根を寄せた。その表情は何も知らない相手であれば、圧感を感じ、ちぢこまってしまいそうなものであるが、ガーネットは、その仕種は女がなにかを説明しようとするときの癖であることを知っている。
「目が覚めたときには、いなかったの。ベアトリクス、なにか知っている?」
 いままでこんなことはなかった。彼はまるで雛鳥の刷り込みのように、ガーネットが目覚めるときには必ずそこにいて、一番初めにガーネットの視界の中へと入ってきた。どこかへ行くのなら行く、とそう告げて、なるべく彼女に心配をかけないようにしてきた。
 それが今朝は、なにも言わずにいなくなってしまった。
「彼ならば私が今朝、城へ上がった時に見かけましたが……、なにやら急いでいるようで、声をかけても『ちょっと出かけてくる』、とだけしか……」
「……そう。それなら、いいの」
 肩を落として、寂しさを漂わせた表情になってしまったガーネットを見かねてか、髪を結わえていた若い侍女が口を挟んだ。
「でも、きっと夜にはお帰りになりますわ。なんといっても、今夜は『聖夜』なのですから」
「『聖夜』?」
 聞いたことのない言葉だった。それはどういうものなのかを尋ねると、
「もともとはただ神を讃える祭日だったのですが、長い年月の間にだんだんと変わっていき、今では一年に一度、その夜だけは必ず自分の一番愛する者──家族や恋人などですね、その傍で過ごすという日なのです。ガーネット様がご存知ないのも無理ありませんわ。庶民の間で広まったものですから」
 でも、ジタン様ならきっとご存知でしょう。侍女はそう言って笑った。
「ですから、ジタン様はきっと夜にはお帰りになるはずですわ。ガーネット様のもとへ」
 明るく言う侍女に、ガーネットはただ曖昧に笑った。

 

 

 

 

 

その夜、ジタンは遅くになっても帰ってこなかった。
ガーネットは眠れず、夜着には着替えたが、ベッドの端に腰掛けて、待っていた。
ひとりこの部屋で過ごす時は、いつになく部屋が広く静かに感じられる。──この部屋はこの城へ引き取られたときからずっと使っているのだから、これがあたりまえなのに。
 ジタンがいない。それだけで。
彼がガーネットのもとへ帰ってきてから、この部屋にはずっと二人でいた。彼はたまにぶらりと旅に出てしまうことがあるが、それ以外ではガーネットが責務から離れてこの部屋へ帰ってくると笑顔で迎え、そして二人だけの夜が明けてしまうと、寂しそうに笑ってガーネットを送り出してくれた。
 けれど、その彼はいま、この部屋にいない。
 そして、もうひとつ、ガーネットの心を曇らせていることがあった。
『きっと夜にはお帰りになりますわ。なんといっても、今夜は『聖夜』なのですから』
今朝侍女が言っていたこと。今日は『聖夜』という、一年で一度愛しい者の傍で過ごす日であるらしい。
 だから彼は絶対にあなたのもとへ帰ってくる、と言われたとき、「果たして本当にそうだろうか?」と疑問が湧いた。
 いままでを振り返って、ガーネットは自分の気持ちを素直に口に出したことは一度もないことに、初めて気がついた。そして、彼も。
言わなくともいいと思っていた。
わざわざ言葉にする必要もない。自分たちは互いに通じあっているのだと心のどこかで思っていたかもしれない。
でも確かに、何度か互いに通じ合っている、と感じたことはあった。喪失感と不安がとめどなくふくらんでいく中、私の誕生日に突然彼が姿を現して、もう無我夢中で抱きしめあった時。その夜の、まるで互いに互いの存在を刻み込むかのような激しい熱をもった時間など。けれど、通じ合っていると感じたのは、自分の一人よがりだったのだろうか。
ジタンは、私のことをいったいどう思っているのだろう。
 考えてみると、二人の間のつながりなんて、なんの証も印もない。確かだと言えるのは、彼を好きだという、この自分の心だけ。彼が私から離れていかない保証なんて、どこにもないのだ。
 だんだん胸が苦しくなってきて、ガーネットはそっと手で押さえた。
そのときだった。窓の外から、クエーッ!とけたたましい鳴き声が聴こえたのは。
「チョコボの鳴き声……?」
 とっさに窓の方を見やる。耳をすませると、翼を動かすようなバサバサッという音が聴こえ、次いでテラスに黒い大きなシルエットが飛び込んできた。
 まさか……ジタン?
それを証明するかのように、その大きなシルエットは二つに分離して、チョコボと人間のシルエットになった。そして、人間のシルエットの方が、コンコンと窓を叩いてそれから窓を開けて部屋の中へと入ってきた。
彼の姿を認めた瞬間、ガーネットはもう走り出していた。
「ジタン!」
名前を呼んで、そのまま彼の胸に飛び込む。
 

 

「ガーネット?」
ジタンはすこし驚いたような顔をした。いつも穏やかな笑みを浮かべ、自分の感情をあまり激しく表に出さないガーネットの方からこんなふうに抱きついてくるなんて。
「どうした?なにかあったのか?」
自分の留守中になにかあったのかと心配になって尋ねるジタンの腕の中で、小さな頭がかぶりを振った。そうではないらしい。
「じゃあ、どうしたんだ?」
また顔をあげないまま、彼女は首を振る。
ジタンは少し考え込んで、もしかして……と呟いた。
「もしかして……寂しかっ…た……とか?」
それを聞いたガーネットは、顔は上げずに、ジタンの胸をぽかりと叩いた。
いてっ、と呟いた唇が、ゆっくりと笑みのかたちになる。
「よしよし、ごめんな」
あやすようにガーネットの細い肩を軽く叩きながらそう言うと、彼女はまたぽかりと彼の胸を叩いたが、彼は笑みをくずさなかった。
「ガーネット、ちょっと今から外に出られるか?」
「え?ええ。」
ようやく顔を上げ、首をかしげつつも答える。見上げたジタンは笑っていたが、目は真剣だった。
「じゃあ、暖かいものを着て。空は結構寒いからな」
 いわれるがままガーネットは厚い生地の服を身に纏う。そうして、ジタンに手をひかれてテラスへと連れ出され、やはりジタンの手を借りてチョコの背中に乗った。初めて乗るチョコボの背中は、羽毛でふかふかしていて、とても温かだった。
「揺れるから、しっかりつかまってろよ」
頷いてジタンの腰に腕をまわすと、チョコは上空へ向けて飛び立った。
 

 

 

チョコは空高く飛び上がり、翼をはためかせて飛んだ。高い山を越え、月と星の光を浴びてきらきらとひかる海の上を越えて、しばらく行ったところで、ジタンは合図をしてチョコを着地させた。
ガーネットは周りを見回す。今夜は星が明るく、まわりに見える瓦礫がくっきりと浮き出ていた。
訊かずとも分かる。この廃墟。もの悲しくなる雰囲気と、静寂。懐かしさと切なさがガーネットの胸を満たす場所。……ここはガーネットの故郷、マダイン・サリだ。
「どうしたの?ジタン。こんなところへ……」
ジタンは微笑むだけで答えずに、チョコの背中から降りた。そして、ガーネットに手を差し出す。その手に自分の手を重ね、ジタンに支えてもらいながらガーネットもチョコから降りた。
「こっち。チョコは、ここで待っていてくれよな」
ガーネットの手を引いてジタンが歩き出した方向は、召喚壁のある方だった。どうして彼がこんなところへ自分を連れてきたのか分からずに困惑しつつも、ガーネットは手を引かれるままにジタンの後をついていく。
着いた場所は、やはり、召喚壁だった。
昼間とはまた違う、夜の召喚壁。ぐるりと周りを囲む壁に描かれた、たくさんの召喚獣たち。その物々しさと荘厳さは変わらないが、吹き抜きになっている先の空はたくさんの星が瞬き、それは壮大な宇宙を喚起させた。
思わず足を止めてじっと上を見上げるガーネットの隣でジタンもまた歩みを止め、空を見上げた。
「……勝手にいなくなってて、ごめんな」
その言葉にガーネットは空からジタンへと視線を移すと、彼はすまなさそうに微笑んでガーネットを見下ろしていた。
……ずるい。
そんな顔をされては、心配したのよと怒ることもできなくなってしまった。
だから、ガーネットは首を振るにとどめた。
「実は、これを取りに行ってたんだ」
そう言ってジタンは、ポケットから何かを取り出す。
「ガーネット、手を出して」
言われるままに、片手を差し出す。右手はジタンにとらわれているから、左の手。
差し出された白い手のひらを見てジタンはちょっと苦笑いして、その手を取って裏返す。つないでいた手を離してガーネットの左手の下に重ね、そして、右手でガーネットの白くて細い指にそれを嵌めた。
 ガーネットが目を見開く。
「へへ、よかった。サイズぴったりみたいだな」
 照れたように笑うジタンの顔と、指に嵌められたものとを、ガーネットは何度も見比べた。言葉が、出てこない。
 深い赤色をした小さな石と、同じように小さな白いパールがいくつも不規則に散りばめられた指輪が、ガーネットの薬指で輝いている。
「ガーネットの方は前に原石を見つけてずっと持ってたんだけど、パールの方はこの大きさのがなかなかなくてさ。やっと今日見つけて、急いでリンドブルムで評判の細工師に作ってもらったんだ。どうしても今日、これをガーネットに渡したくてさ。この、ガーネットが生まれて、祝福を受けた場所で」
 ガーネットは驚きの表情のまま、ジタンを見上げた。
「『聖夜』って、知ってるか?」
ガーネットの反応に、いたずらが成功した時の子供みたいにジタンは笑った。ガーネットは、知ってる、とも、知らない、とも答える前に、引き寄せられて、その腕のなかに閉じ込められた。
驚きっぱなしのガーネットだったが、ゆるゆると顔を上げ、ジタンと目が合うと、途端に花が咲き零れるようにゆっくりと微笑んだ。そうして、その唇を開く。

「好き」


すき。そう言葉にすると、不思議と瞳が潤んだ。
あぁ、私、この人が好きなんだわ。改めてそう、実感した。
見つめる先で、ジタンの青い瞳もやさしく細められたような気がした。
「おれも、……好きだよ」
見つめ合ったそのまま、どちらからともなく自然と距離を縮めた。かかとを少し浮かせて、そっと両腕を彼の首にまわして、そうして、そっと……触れ合った。
 

 

 その瞬間、アレクサンドリアでは真夜中を告げる鐘の音が街じゅうに鳴り響き、二人の頭上では、鐘の音の代わりに、星が弧を描いて流れた───。








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